2010年1月31日の報道でもいわゆる「南京大虐殺」の被害者の人数で日中で意見が分かれているということだった。

この共同研究に参加した日本人は「南京大虐殺」があったと認識しているだけでも中国側に妥協しているわけで、それでも意見に差があるのだから、日本で「虐殺は虚構だ」という意見が出るのは健全なことである。それで「戦後」については中国国内事情を配慮して非公表なのであれば、そういう中国側の歴史観そのものが当てにならないことは明らかだ。
もう中国人こそ歴史を直視することがなかなかできないことを示している。

そういう中国人が主張する歴史観も相当疑ってみる必要がある。
この共同研究に参加したのは日中のどういう人たちか。日本側がどういう意見を言おうとそれは「共同研究に参加して有識者」の見解であって、それが真実とは限らない。大多数の日本人の知らないところで一部の識者が勝手にしていることだ。

中国側は日本側が日本の代表だと思うだろうが、日本の側ではこの共同研究に参加している日本人は歴史観の代表として選んだわけでもないし、そもそも日本国で統一された歴史観そのものが存在しない。
共同研究に参加している日本人は「南京虐殺」があったと認識しているだけで、日本の代表ではない。
だから、この共同研究に参加した日本人が「南京虐殺」を認めても、日本国内では「南京虐殺はなかった」という意見は当然出てくる。中国側が日本国民全体が同じ歴史観で統一されるべきだと考えているのだろうが、そこが大間違いである。

また、日中歴史共同研究というなら邪馬台国はどうなのか。『古事記』『日本書紀』を軽視して『魏志倭人傳』の日本に関する記述を重視する「親中派」が邪馬台国の存在を前提にして、九州か近畿かで論争しているわけだ。これはシナの歴史書の地理的な記述が不正確だからである。そこをはっきりさせず、中国に都合のいい歴史観だけ即席で作り上げても、そんなもの「一部の見解」で終わるだけの話だ。

それで胸中の歴史認識が何かレポートや本になったとして、それを日中の教科書に載せるのだろうか。日本は複数の教科書を検定に通し、学校が採擇する方法を採用している。今回の共同研究の結果が教科書に載ったところで、歴史に関心のない学生はテストが終われば忘却するし、本当に歴史を勉強する学生は教科書にある「共同研究」自体を疑って、独自に研究して批判本を出すくらいまで行くだろう。

かつての日本が満洲と台湾と朝鮮を支配したとき、日本は本土の歴史観をそこで教えたであろう。結局、「日中共通の歴史観」というのはその裏返しで、中国の歴史教科書を和譯して日本に押し付けているだけで、結局、中国版「皇民化教育」、中国版「大東亜共栄圏」をやっているだけの話だ。

本当に民主的な歴史教育をするなら、中国の教科書、韓国の教科書(高句麗や渤海についての解釋の違いも明確にする)、日本の田母神論文や「つくる会」の教科書を各論併記して生徒に選ばせるべきであろう。当然、「文革」「天安門事件」「チベット併合」についても批判的な意見、負の側面をはっきり記述すべきだろう。「中国によるチベット人虐殺」もきちんと記述すべきだが、今回の「共同研究」でそれが言及されているかどうか、わからない。

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2009年12/25
2010年2/1