山田世代高3夏の予選と甲子園を描いている。

 

『大甲子園』では神奈川予選の決勝が横浜球場で開催されているので時代設定は1978年以降。夏の甲子園で室戸学習塾が松田聖子や小泉今日子のヒット曲を歌っているので1980年代である。『大甲子園』では土井垣のいた日本ハムは後楽園球場でゲームをおこなっており、阪急はまだオリックスになっていなかった。甲子園球場にはラッキーゾーンがあった。

 

夏の甲子園での中西球道の奪三振記録から考えると1982年または1983年と考えられるが、岩鬼正美が昭和60年時(つまり西暦1985年時)のプロ選手のまねをしているので1985年とも解釋できる。
1985年とすると山田太郎は1967年5月5日生まれ、岩鬼正美は1968年4月1日生まれ。山田と岩鬼は清原、桑田と同学年で、岩鬼の生年月日は桑田真澄のそれと一致する。『大甲子園』における山田太郎の高校時代は『ドカベン・プロ野球編』の山田太郎の小学生時代と重なっている。

 

1967年 『大甲子園』の山田太郎誕生
1968年 『大甲子園』の岩鬼正美誕生
1978年 横浜球場完成(『大甲子園』神奈川予選決勝の会場)
1982年 中西球道奪三振記録
1983年 中西球道奪三振記録
1985年 『大甲子園』の岩鬼(高3)が昭和60年時の選手のまね
1986年 里中が見た夢で西武の山田と巨人の里中が対戦
1991年 新潟明訓と神奈川明訓の対戦(山田と岩鬼は高3)
1992年 『ドカベン・プロ野球編』の山田が明訓高校に入学

 

明訓と青森りんご園農業高校との試合のとき、山田の住む長屋の大家がロッテと関係があり、住民に立ち退きを求め、長屋に住み続ける見返りに「山田太郎によるロッテ逆指名」を要求した。

 

初期『ドカベン』明訓編と『大甲子園』では里中が高3春の選抜のあとに休部、夏の予選の決勝直前に野球部に復帰した。一方、『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』では里中は高3夏の予選の1週間前も野球部にいて、新潟明訓との練習試合に登板している。
これは『ドカベン』~『大甲子園』の時代背景が1980年代初めなのに対し、『新潟明訓対神奈川明訓』は1991年の設定なので、同じ『ドカベン』のシリーズでも別世界のことと解釋すべきであろう。

 

なお、1991年に新潟明訓と対戦した山田太郎のほうは1973年生まれ、岩鬼正美は1974年の早生まれで、イチロー、小林幹英と同学年である。
なお、新潟明訓と神奈川明訓の試合のとき、『ドカベン・プロ野球編』の山田、岩鬼、里中、殿馬はまだ中学3年生で、『プロ編』の土井垣は1991年当時、高2だった。
『プロ編』の土井垣は『新潟明訓対神奈川明訓』の渚と同学年だったことになる。

 

新潟明訓が甲子園に初出場した1991年当時、すでに後楽園球場は東京ドーム(1988~)になり、阪急はオリックス(1989~)になっていた。
『プロ編』の山田太郎が甲子園に初出場したのは1992年。このとき、甲子園からラッキーゾーンが消えていた。1979年に明訓高校が弁慶高校に敗れたとき、余った観客がラッキーゾーンで観戦していたが、それから13年がたっていたわけだ。
『大甲子園』で描かれた山田世代高3夏の予選と甲子園は『プロ編』の設定では1994年夏であり、『プロ編』で明訓が弁慶に敗れたのは1993年の夏だったことになる。

 

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2010年1月 1/31