『影の軍団II』『逃亡者おりん』『殿さま風来坊隠れ旅』
9代将軍家重から10代将軍家治までの時代を描いた3作品。
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『影の軍団』【作品】
時代設定は豊臣の時代(映画「新影の軍団」)→4代将軍家綱の時代(I、III)→9代将軍家重の時代(II)→幕末(IV~幕末編)という順番になる。
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1745年に吉宗は将軍の座を家重に譲った。
1751年に吉宗が他界。大岡忠相も続いて亡くなった。

家重は言語不明瞭で、吉宗没後は家重のことばを理解する大岡忠光が側用人として重要な役割を果たした。
実像はともかく、時代劇ではこの忠光が悪役とされることが多い。

1745年 徳川家重が将軍に
1751年 徳川吉宗没。大岡忠相没
1760年 大岡忠光没(『影の軍団II』『逃亡者おりん』)
___ 平賀源内が影の軍団をサポート
___ 徳川家治が将軍に
1761年 宗睦が尾張藩主に。家重没
___ 徳川治貞と宗睦が隠れ旅(『殿さま風来坊隠れ旅』)
___ 平賀源内が治貞と宗睦の旅に同行

『影の軍団II』は家重の時代の話。大岡忠光が伊賀の里で大量虐殺をおこない、影の軍団がかたきを討つ。影の軍団の頭(かしら)は柘植新八(つげしんぱち)。
影の軍団をサポートしていたのが平賀源内である。
今となっては有害物質である石綿がこの番組では新八と椎名美里を救った。

柘植新八が大岡忠光を暗殺して『影の軍団II』は終わる。
『逃亡者おりん』も家重の時代を描いており、忠光が悪役で、忠光が失脚するところが描かれているようだ。

忠光が没した1860年、後ろ盾を失った家重は将軍の座からしりぞき、家治が将軍となった。
『殿さま風来坊隠れ旅』はそのころの話。紀伊藩主・徳川治貞(~はるさだ)と尾張藩主・徳川宗睦(~むねちか)が将軍の座を拒否して失踪、治貞は浪人に化け、宗睦は町人に化けて旅をする。
この作品でも平賀源内が登場する。

結果として源内は影の軍団をサポートしたことで間接的に忠光を失脚させ、それで紀州と尾張の隠れ旅をもたらし、それに同行することとなったのである。
インターネットで調べると宗睦が尾張藩主になったのは1761年であるから、ドラマの隠れ旅はそれ以降であろう。
1761年には家重が没している。


影の軍団II第19話「大追跡! 雪は知っていた!」。時代設定は家重の時代だから1760年まで。その時代にスキーがあったか。スキーは明治時代に日本に傳わったことになっているがキテレツ斎は安政4年(1857年)にスキーを發明しており、忍者はその100年程前にスキーを使っていたらしい。
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「影の軍団II」は家重の時代で大岡忠光没(柘植新八が暗殺)まで。「おりん」第1シリーズは家重の時代で忠光失脚まで描かれ、第2シリーズは家治の時代。「殿さま風来坊」は家治の治世で田沼時代の話。
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平賀源内は影の軍団に協力していた。その結果、影の軍団が大岡忠光を暗殺して、後ろ盾を失った家重が失脚。家治の時代になると紀州藩主と尾張藩主が将軍職を拒否してそれぞれ素浪人と商人に化けて隠れ旅。源内はその旅に同行していた。
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2010年1月 1/30 1/31