1977年――右腕・星、王756号、『コロコロ』、拉致事件

飛雄馬が二軍に落ちたとき、左門は「してやられたばい!巨人さん、わしに星投手ちゅうカモば一切れ食わせただけで、さっとひっこめさったとじゃ」と述べた(文庫4巻「噴火の章」)。これは1968年に左門が左腕投手時代の飛雄馬の球をHRし、飛雄馬が二軍に落ちたことを、球団側の策として繰り返したようなものだ。


アニメの『ドカベン』では1977年に王が756号を打ったことに対するかたき討ちとしてフォアマンがクリーンハイスクールに入ったらしい。
がんばれ!!タブチくん!!』によると、王に756号を打たれたヤクルトの鈴木康二朗は何かというと「王に756号を打たれた鈴木」と呼ばれたらしい。

『ドラえもん』原作の「りっぱなパパになるぞ!」でのび太が25年後の大人の自分を見に行った。このとき、少年時代ののび太の時代は1977年で、こののび太はおそらく1967年生まれ。
「25年後」は西暦2002年であり、のび太と静香はマンション暮らし。息子のノビスケは10歳くらいで、1992年前後に生まれたと推定できる。
コロコロコミック』が創刊されたとき、『ドラえもん』のタイトルは雑誌のタイトルよりも大きく書かれていた。

1977年11月15日、横田めぐみ氏(当時13歳)が拉致されたらしい。ちなみに、横田めぐみ氏(10月5日生まれ)は
1977年11月15日に拉致された当時、13歳だったらしいので、1964年生まれ。
2008年11月16日

解説II

解説III
77年開幕直後、長嶋と王は星が左門に打たれると、星の意志を無視して二軍に落としたが、これは星が左腕時代に常習にしていた勝手な二軍行きを球団が先取りしただけである。右腕の飛雄馬は77年の日本シリーズまで試合に出場し、右1号の特訓はオフになってからであった。69年夏に川上監督が星に「シーズンを1号で乗り切り、2号を作るのはオフになってから」(要旨)という助言をしながら、星は拒否した。それに比べると、星は9年の間に進歩したと言える。
また、78年に花形が蜃気楼の魔球を打ったあと、ヤクルトが特訓を秘密にして、記者から「乳酸菌のカーテン」と言われたのは、星がやっていた失踪のふりの特訓を球団公認でやったようなもの。
└→1978年I――『新巨人の星』蜃気楼の魔球(「新魔球の章」)、ツバメ返し打法


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