武宮氏は享年88歳らしい。ネットで調べると1921年11月25日生まれ。川上哲治(1920年3月23日~)より1歳年下だ。川上が早生まれなので学年では2学年下になる。
1月15日に亡くなったらしい。

 

どこかで見聞きした名前だと思ったら、この人は『巨人の星』に登場する。
星飛雄馬が大リーグボール2号、つまり消える魔球を作るための特訓を始めた直後に会った巨人軍関係者が武宮氏で、その次がおそらく川上監督である。もちろん飛雄馬はその前から寮長とも顔見知りだったようである。

 

KC第14巻、文庫第8巻「不死鳥」、文庫第1刷だと283~285ページに武宮寮長が登場する。
時代設定は1969年夏のオールスターが終わったときのペナントレースの時期。
└→『巨人の星』で武宮敏明氏が出た場面

 

川上監督が飛雄馬に1号を工夫してオズマを打ち取る策を与えるが飛雄馬は拒否し、正式に二軍落ちを命じられる。
9月になって星は消える魔球で一軍に復帰した。

 

武宮氏はわずか3ページの登場だったが、結構、印象的な場面ではあった。
星飛雄馬は1968年の日本シリーズ前半、1号を改良するために門限破りをしたことがある。

 

魔球を編み出すためには味方にも秘密にする飛雄馬の失踪癖は、巨人首脳部にとっても悩みの種だったのではなかろうか。
のちに1977年春、右投手となった飛雄馬が投球動作から左門に球種を読まれて打ち込まれたとき、王貞治の進言により長嶋監督は飛雄馬を二軍に落とし、投球フォームを改善させた。
これは川上監督時代の飛雄馬の失踪→復帰癖の経験からONが先回りして飛雄馬を二軍に落とし、しかも巨人軍の管理下に置いたまま弱点を修正させた形である。

 

星飛雄馬と巨人軍宿舎
さて、飛雄馬は少年時代から高校時代まで、一徹、明子とともに東京下町(墨田区らしい)の長屋に住んでいたわけだが、1967年の秋から多摩川の巨人軍寮に住んだ。アニメで飛雄馬は68年の12月に寮の2階でクリスマスパーティーを企画し、呼んだ人が誰も来なかったので大暴れしたのは有名。1969年正月に飛雄馬は明子とともに東京タワー近くのマンションに引っ越し。

 

1970年の失踪後、飛雄馬の住居は不明だが、『新巨人の星』のアニメを観ると、一人で打撃練習をしていた山奥に小屋を作って住んでいたように見える。「野球人間ドック」スタート後は伴の家に居候になったようで、1976年春、巨人に復帰してからの飛雄馬は巨人軍宿舎住まい。おそらく多摩川の二軍寮だろう。
その後の飛雄馬は年末年始のオフのときも巨人軍宿舎に住んでいた。
飛雄馬は『巨人のサムライ炎』で1979年に巨人の二軍コーチになったがそのときも巨人の宿舎に住んでいたのだろう。

 

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