1970年(5)――巨人V6、星飛雄馬失踪、『アタックNo.1』最終回

星飛雄馬失踪リスト
1966年または67年
高校1年夏の甲子園決勝で敗れたあと、夕方まで帰宅せず。

 

1968年
開幕第1戦の巨人×大洋戦、左門に打たれたあと、雲隠れ。
日本シリーズ直前、伴と一緒に釣り堀に行き、門限破り。

 

1969年
日高美奈が没したあと、他の巨人二軍選手が帰京しても飛雄馬だけ宮崎に残り、アニメでは一時、飛雄馬が行方不明。沖医師が懸命になって探した。
オールスターの日から伴と多摩川グラウンド(推定)で特訓。球団関係者が居場所を知らず、川上監督も忙しい中で飛雄馬を探すのに手間取った。飛雄馬は監督の忠告を無視して二軍落ち。

 

1970年
春にシーズンが開幕して間もない4月ごろ、甲子園で花形に大LB2号を打たれた直後、勝手にマウンドを降りて東京に戻り、失踪。アニメでは7月の球宴当日まで川上監督ら巨人軍関係者に姿を見せず、港で荷物運びのアルバイトなどをしていた。
アニメでは、さらに、球宴の第2戦がある大阪に行く新幹線を降りたところで勝手に疾走し、竹藪で3号の特訓。一時は、星飛雄馬も終わりと言われた。東京での第1戦の状況から見て、試合が嫌で逃げ出したとみなされて当然であり、最悪の場合、その場で登録抹消されても仕方がない状況だった。
左腕を破壊し、シーズン終了前後に、また、失踪。5年後、1975年に伴重工業のグラウンドで打撃練習しているところを長嶋茂雄が目撃するまで、行方知れず。

 

解説I
飛雄馬の失踪癖は彼の性格にもよるところが大きく、単純に敗れたあとに報道陣からつけまわされるのを嫌がったということもあるが、再起を決意した特訓であっても報道陣をシャットアウトしてライバルに知られるのを防ぐ意図もあったようである。68年の日本Sでは川上監督と飛雄馬も互いに承知していた。ただ、1号と2号の間のときのように、監督ですら星の場所や状態を把握できないようでは、ローテーションも組めない。
アニメで花形は星の左腕時代、星の左腕の秘密を知ると、阪神のデーゲームを勝手にさぼって東京に行き、飛雄馬と対戦し、敗れたあとに引退した。1970年までは星も花形もまことに身勝手であった。
└→解説II

 

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2010年1/16

参照
梶原一騎関連(2010年1月~)