武田鉄矢が80年代に海援隊を解散させたのは坂本竜馬の没年まで続けてそこで解散する予定だったかららしい(雑誌『AERA』)。

 

武田鉄矢は1949年4月11日生まれで、海援隊の解散は1982年12月19日(1994年に活動再開)。
1982年当時、武田鉄矢は満33歳だったが数え年では34歳である。

 

陰暦と陽暦、満年齢と数え年の違いが無視されており、もし武田鉄矢が数え年33歳での解散を採用していたら、海援隊は1981年に解散していたところだ。しかし、満33歳に切り替えたおかげで解散が1年延びた。当時、『金八先生』の効果で大人気グループだったことを考えれば、これも正解だっただろう。

 

なお、『AERA』を読んだ記憶では、海援隊解散の情報が漏れたとき、事情を知らない当時のマスコミが「鉄矢しか目立たない現状にメンバーが反発?」などという憶測記事を書いたらしい。マスコミは「~説」や「~か」で勝手なことを書くのが商賣であるが、本当は竜馬の年齢まで続けるということだったわけだ。

 

『AERA』によると、武田鉄矢がそれを決めたのはまだ海援隊の曲がヒットしていなかったときで、「どんなに苦しくても33歳までは海援隊を続けよう」という意志の表れだったらしい。
ところがそのときが来てみると、海援隊は解散の必要がないほどの人気になっていたわけだ。

 

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