『水戸黄門』で光圀が旅に出ると、政敵である柳沢吉保が光圀の命を狙って刺客を放つようだ。
これでは光圀にとって江戸城にいるのとどちらが安全かわからない。
これでは光圀にとって江戸城にいるのとどちらが安全かわからない。
綱吉は光圀に協力的なようだが、吉保一派の光圀暗殺計画などを止めることはしないようだ。
町人に化けて諸国を歩いている光圀は、政敵・吉保にとって格好の標的。
町人に化けて諸国を歩いている光圀は、政敵・吉保にとって格好の標的。
むしろ綱吉は吉保に味方しているのではなかろうか。
光圀も日本全国の細かい事件を収集しているだけで、関東の政敵を倒すことはできない。
Wikipedia で調べると、光圀が隠居していた時期、柳沢吉保は保明(やすあき)と名乗っていて、光圀が没した直後の1701年から吉保と名乗ったらしい。
光圀が没してから14年後、吉保は1714年に没した。
それから2年後の1716年、徳川吉宗が将軍になった。
光圀が没してから14年後、吉保は1714年に没した。
それから2年後の1716年、徳川吉宗が将軍になった。
ドラマで柳沢吉保が各地で問題を起こしていたのは政敵・光圀を関東から遠ざけるための画策であったのだろう。
水戸光圀の旅の目的はともかく、道中での世直しがもし当時の日本に必要だったのであれば、それは柳沢吉保のおかげということになる。うっかり八兵衛が日本各地の名物、名産を堪能できたのも柳沢吉保のおかげということになる。
水戸光圀の旅の目的はともかく、道中での世直しがもし当時の日本に必要だったのであれば、それは柳沢吉保のおかげということになる。うっかり八兵衛が日本各地の名物、名産を堪能できたのも柳沢吉保のおかげということになる。
光圀の最大の敵であった柳沢吉保は光圀の力では幕閣から追放することはできない。
綱吉は部下である光圀と吉保の対立を知りながら、両者を放置していたわけだ。
つまり、ドラマ『水戸黄門』の世界は徳川綱吉の部下である水戸光圀と柳沢吉保の2名による「コップの中の争い」であり、周圍の幕閣、各藩の関係者、庶民のそのとばっちりを受けていただけであろう。
綱吉は部下である光圀と吉保の対立を知りながら、両者を放置していたわけだ。
つまり、ドラマ『水戸黄門』の世界は徳川綱吉の部下である水戸光圀と柳沢吉保の2名による「コップの中の争い」であり、周圍の幕閣、各藩の関係者、庶民のそのとばっちりを受けていただけであろう。
柳沢吉保の生涯を調べると、1658年生まれで水戸綱條より2歳年下で光圀が水戸藩主になった1661年当時は数え年4歳だったわけだ。
吉保と名乗ったのは光圀没の直後、1701年であり、それ以前は保明(やすあき)だった。
光圀が藩主だった1688年に保明は側用人に就任。1690年、光圀は隠居して権中納言となったが、保明は從四位下に昇叙。
第40部に登場した松尾芭蕉の没年である1694年に保明は7万2000石とされ、武蔵川越藩主(埼玉県川越市)となり、同年12月に老中格、侍從の官職を与えられた。1698年、大老が任ぜられる左近衛権少将に轉任する(第37部では綱條の息子・徳川吉孚が14歳で1698年か)。
吉保と名乗ったのは光圀没の直後、1701年であり、それ以前は保明(やすあき)だった。
光圀が藩主だった1688年に保明は側用人に就任。1690年、光圀は隠居して権中納言となったが、保明は從四位下に昇叙。
第40部に登場した松尾芭蕉の没年である1694年に保明は7万2000石とされ、武蔵川越藩主(埼玉県川越市)となり、同年12月に老中格、侍從の官職を与えられた。1698年、大老が任ぜられる左近衛権少将に轉任する(第37部では綱條の息子・徳川吉孚が14歳で1698年か)。
光圀が1700年末(陽暦で1701年初め)に没したあとも保明は健在で、綱吉から「吉」を与えられて「吉保」と名乗る(その意味では5代目紀州徳川家の松平頼方が1705年に徳川吉宗になった例と似ている)。
1704年(宝永元年)、綱吉の後継に甲府藩主徳川家宣が決まると、家宣の後任として吉保が甲府藩主となった。1706年には大老格まで出世。
1709年に綱吉が没すると吉保は辞任して隠居。
1712年、家宣が没し、家継が将軍に。
1714年、新井白石らが正徳の治をおこなっていた時期、吉保は没した。
柳沢吉保は光圀の息子の世代であったとはいえ、光圀没後14年も幕藩体制で権力をにぎっていたわけだ。
1704年(宝永元年)、綱吉の後継に甲府藩主徳川家宣が決まると、家宣の後任として吉保が甲府藩主となった。1706年には大老格まで出世。
1709年に綱吉が没すると吉保は辞任して隠居。
1712年、家宣が没し、家継が将軍に。
1714年、新井白石らが正徳の治をおこなっていた時期、吉保は没した。
柳沢吉保は光圀の息子の世代であったとはいえ、光圀没後14年も幕藩体制で権力をにぎっていたわけだ。
『水戸黄門』は光圀が隠居していた10年間、光圀が「さきの副将軍」という形だけの役職を利用して幕府や各藩をかきまわした例外的な時期の話ということになる。