「ママのダイヤを~」のび太(1961年生)と玉子年齢変遷

2007年のアニメ版「ママのダイヤを~」における玉子の少女時代は昭和50年代だが、松田聖子のデビューは昭和55年(1980年)なので、その年から昭和59年(1984年)までの4年間に限られる。

「プロポーズ作戦」における玉子とのび助の婚約は1959年で、この「ママのダイヤを~」では玉子は18歳(高校3年)で婚約になる。もし「プロポーズ作戦」で12年前の玉子が20歳以上であれば、「ママのダイヤを~」の少女玉子は5歳以下になる。

アニメの玉子が1975年生まれとすると、原作「ハリーのしっぽ」ののび太と同い年になる。
2007年度で小5だったのび太は2009年3月に小学校を卒業した。一方、のび太が2009年度で小5だったとすれば、2007年の春以降にはまだ小3だったことになる。

雑誌初出当時の「ママのダイヤを盗み出せ」と「プロポーズ作戦」はどちらものび太が1961年生まれである。
「プロポーズ作戦」は1971年『小四』11月号掲載で、「ママのダイヤを盗み出せ」は1973年『小六』7月号。作中で玉子とのび助の婚約は1959年11月3日、玉子が母(のび太にとって母方の祖母)の指輪を紛失したのは1948年7月7日。「ママの~」の場合、劇中の「現在」に当たるのび太の少年時代も、野比家の屋内と庭がスダレだけで仕切られている描写などから観て夏と思われる。

1948年、少女時代の玉子が何歳か原作でははっきりしないが、のび太より少し背が低く、また、アニメでは玉子が7歳のころと提示されているようだ。
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のび太が1961年生まれで、玉子が1948年で7歳だとすると、1941年生まれで、のび助と婚約した1959年当時はまだ18歳、1961年にのび太を生んだときの玉子は20歳のころになる。

また、てんコミ第1巻の「未来の国からはるばると」ののび太が1960年生まれで、玉子が1941年生まれだと19歳でのび太を産んだことになり、「未来の国から~」の雑誌初出当時ののび太が1959年生まれとすると、玉子は18歳、それも婚約の3箇月前にのび太を産んだことになってしまう。

しかし、「プロポーズ作戦」における玉子とのび助の婚約は「のび太が生まれる2年前」であることが基本で、そうなるとのび太が1960年生まれなら両親の婚約は1958年に早まり、のび太が1959年生まれであれば両親の婚約は1957年になる。