『大全集』第1巻と第2巻、そして『ド・ラ・カルト』を参考にした。

1970年3月
「けんかマシン」(『小四』70年3月号、のび太1959年生)
「のび太が強くなる」(『小三』70年3月号、のび太1960年生)
「オーケーマイク」(『小二』70年3月号、のび太1961年生)
「タイムテレビ」(『小一』70年3月号、のび太1962年生)

1971年3月
「ドラえもん未来へ帰る」(『小四』71年3月号、のび太1960年生)
「のろのろ、じたばた」(『小三』71年3月号、のび太1961年生)
「わすれろ草」(『小二』71年3月号、のび太1962年生)

1972年3月
「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」(『小四』72年3月号、のび太1961年生)
「物体瞬間移動機」(『小三』72年3月号、のび太1962年生)

1972年3月、1959年生まれののび太が小学校を卒業。

1973年3月
「未来世界の怪人」(『小四』73年3月、のび太1962年生)

1973年3月、1960年生まれののび太が小学校を卒業。
1973年春から秋まで日本テレビ系列で『ドラえもん』のアニメ放送。最終回は「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」をベースにしたもので、ドラえもんが帰ったあと、のび太が自轉車に乗れるようになる話であった。

1974年3月
「ユメコーダー」(『小六』74年3月号、のび太1961年生)
「ママをとりかえっこ」(『小五』74年3月号、のび太1962年生)

1974年3月、1961年生まれののび太が小学校を卒業。

「さようなら、ドラえもん」(『小三』74年3月号、のび太1964年生)
└→「帰ってきたドラえもん」(『小四』74年3月号、のび太1964年生)

1975年3月
「ツチノコ見つけた!」(『小六』75年3月号、のび太1962年生)

1975年3月、1962年生まれののび太が小学校を卒業。

3月号掲載作品は年度末、学年の終わりということもあり、読者は4月から上の学年に行く。その上の学年の雑誌でも引き続き作品が掲載されていたか、いなかったかが重要であった。
三つの最終回が3月号に掲載されているのもそのためである。
まず、最初の二つは1971年と72年のそれぞれ3月号に掲載された。

次に1974年3月号の最終回は『ドラえもん』が一度は打ち切りとされたことによる。しかし、藤子・F・不二雄はドラえもんが頭から離れず、直後に再開。
当時、『ドラえもん』の人気は地味だったとは言え、読者からの『ドラえもん』継続を望む声もあっただろう。
藤子・F・不二雄は1974年の春に『ドラえもん』の復活とほぼ同時に『みきおとミキオ』『バケルくん』『キテレツ大百科』の連載を始めた。ちょうど小学校に入ったころだったので、これらの作品はよく読んだ記憶がある。
もし、『ドラえもん』が終わっていたらこれら『みきお』『バケル』『キテレツ』のどれかか、またはすべてが『ドラえもん』の後継作品となっていたはずだ。

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