水戸の徳川光圀は1628年生まれ。隠居時代は1690年から1700年まで。
満年齢では62歳から72歳まで、数え年では63歳から73歳まで隠居していたことになる。

佐々木助三郎と渥美格之進はどうか。

佐々木助三郎のモデルは佐々宗淳(さっさむねあつ、1640~1698)である。
1640年生まれだから光圀が隠居したとき、すでに佐々宗淳は満50歳、数え年51歳であった。
1698年に数え年59歳で没しており、光圀より先にこの世を去ったわけだ。

渥美格之進のモデルは安積澹泊(あさかたんぱく、1656~1737)で、没年は要暦では1738年になる。
1656年生まれだから光圀が隠居したとき、安積澹泊は満34歳、数え年35歳であった。
彼は長生きで、吉宗の享保の改革の半ばまで生きた。享年82歳。

ちなみに徳川綱吉は1646年生まれ。水戸綱條は1656年生まれで綱吉より10歳下。
佐々宗淳は綱吉より6歳年上。
安積澹泊は綱條と同い年。
佐々宗淳と安積澹泊は年齢が16歳離れていたことになる。

第37部最終話、徳川吉孚が14歳だった。1685年生まれで数え年14歳とすると時代設定は1698年。
つまり、佐々宗淳が没した年だったわけだ。

第40部に登場した松尾芭蕉は1694年に没しているので、少なくとも第40部は第37部から4年、時代が過去にさかのぼっている。

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2009年12/14