「プロポーズ作戦」ではのび助と玉子の婚約が1959年11月になっているが、これは1971年から見て「12年前」であり、1971年でのび太10歳くらい、のび太が1961年ごろに生まれた場合の時代設定である。
すると、ほかの話で「1959年野比夫妻婚約」は通用するとは限らない。
むしろ10歳ののび太にとって「12年前」、つまり、「のび太が生まれた年から2年前」のほうを重視し、西暦何年かは作品の時代設定に応じて前後させるべきであろう。

原作第1話でのび太は1970年正月にドラえもん、セワシから自分の未来を聴かされる。
のび太は1979年に大学を受験する予定だったので、8月7日生まれなら1960年に生まれたことになる。
ところが雑誌掲載当時は1978年に受験する予定だったらしい。すると、この初登場時ののび太は1959年8月7日に生まれたことになる。
すると「プロポーズ作戦」における両親の婚約より前にのび太が生まれたことになってしまう。

これも「1959年」を採用するから問題なのであって、「12年前」を採用すればいい。

のび太が1978年に大学を受験するなら1959年生まれで、1969年8月7日で10歳。
それから12年前だと1957年になるから、のび助と玉子は1957年11月に婚約し、のび太は2年後の1959年9月に生まれたことになる。

すると、のび太が1962年生まれで1972年で10歳の場合、のび助と玉子の婚約は1960年になる。
さらにのび太が1964年生まれで1974年で10歳の場合、のび助と玉子の婚約は1962年になる。

また、「ママのダイヤを盗み出せ」では1948年当時の玉子が少年のび太より少し年下くらいに見える。
2007年のアニメでは1980年代初めで7歳の設定だったようなので、原作で玉子が1948年で7歳とする。

すると1941年生まれである。すると1959年で18歳になる。
しかし、これものび助との婚約が「のび太誕生の2年前」とすればもっとあとになる。

原作「ママの~」は1975年の作品なので、のび太が当時10歳なら1965年生まれ。
つまり、原作「ママの~」の玉子がのび助と婚約したのは1963年になる。
なお、2007年のアニメの「ママの~」における玉子は1982年で7歳であれば1975年生まれである。

1977年は「りっぱなパパになるぞ!」におけるのび太少年時代。
のび太は1977年で10歳であれば1967年生まれ。のび助と玉子の婚約は1965年。

1982年は「竜宮城の八日間」におけるのび太少年時代。
のび太は1982年で10歳であれば1972年生まれ。のび助と玉子の婚約は1970年。
ドラえもんが野比家に居候を始めた初めの年に相当する。

1985年は「ハリーのしっぽ」におけるのび太少年時代。
のび太が1985年で10歳であれば1975年生まれ。のび助と玉子の婚約は1973年。
なお、父・のび助が1985年当時で36歳だったとすると1949年生まれで、1959年当時はまだ10歳になってしまう。年齢を2つ上げて、1985年で38歳だとしても1959年で12歳である。

さて、1979年のテレ朝版スタート時はどうか。アニメののび太は8月7日で11歳である。10歳になったのは前の年だ。「10歳のときののび太にとって12年前」であれば、のび助と玉子の婚約は1966年。
もっとも、「11歳ののび太にとって12年前」であればのび助と玉子の婚約は1967年。

2005年、声優交代の年。この年でのび太が11歳とすると、「10歳のときののび太にとって12年前」であれば、のび助と玉子の婚約は1992年。「11歳ののび太にとって12年前」であればのび助と玉子の婚約は1993年。第1話でのび太の会社が火災に遭う予定だった年だ。

2006年のアニメの場合、1993年または1994年がのび助と玉子の婚約の年。
2007年のアニメの場合、1994年または1995年がのび助と玉子の婚約の年。
2008年のアニメの場合、1995年または1996年がのび助と玉子の婚約の年。

2009年、テレ朝『ドラえもん』30周年。この年にのび太が11歳とすると、「10歳のときののび太にとって12年前」であれば、両親の婚約は1996年で、藤子・F・不二雄の没年である。「11歳ののび太にとって12年前」であればのび助と玉子の婚約は1997年になる。

2010年、映画30周年の年、1997年または1998年がのび助と玉子の婚約の年になる。

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09年11/29