『水戸黄門』第40部第12話「藩主の嫁も楽じゃない(鶴岡)」

一方、『水戸黄門』第40部第12話では、密姫が庄内藩に嫁ぐ寸前に光圀と話す回想シーンがあり、おそらくどこかの城内の庭の場面で、これが画面の字幕で「六年前」とある。この回想シーンで光圀はすでに劇中の漫遊の時期と同じ白髪の老人であったが、この回想シーンでの光圀はまだ隠居する前の水戸藩主だった可能性がある。

先代庄内藩主の13回忌に当たる1693~1694年から6年さかのぼると1687~1688年になる。光圀が水戸藩主だったのは1661年から1690年までだから、1687~1688年当時は光圀はまだ藩主。その直後の1689年に松井芭蕉が『奥の細道』の旅をしている(したがって、劇中の芭蕉の東北旅行は二度目かそれ以降になる)。

つまり劇中の回想シーンは芭蕉没年から6年さかのぼっても1688年。光圀は服装が他の場面と違うだけで、白い髪の毛やヒゲなどは他の場面と同じだった。隠居の2年前から白髪だったとは、藩主時代の光圀は苦労が多かったのだろう。

光圀は1628年生まれなので、第12話の光圀は数え年66~67歳、回想シーンでは数え年60~61歳だったことになる。この回想シーンで密姫は光圀に「鶴岡にいらしてください」、光圀は「もう会えないかも知れん」と言っていたが、鶴姫が江戸住まいなら光圀も江戸で会う機会はあったのではなかろうか。結局、密姫の願いどおり、両者は再会できたはず。

『水戸黄門』第40部第12話「鶴岡」における先代庄内藩主の法要
1681年_00年後_01年目(酒井忠義没)
1682年_01年後_02年目
1683年_02年後_03年目(三回忌)
1684年_03年後_04年目
1685年_04年後_05年目
1686年_05年後_06年目
1687年_06年後_07年目(七回忌)
1688年_07年後_08年目
1689年_08年後_09年目
1690年_09年後_10年目
1691年_10年後_11年目
1692年_11年後_12年目
1693年_12年後_13年目(十三回忌)←第40部第12話で光圀鶴岡訪問か
1694年_13年後_14年目 松尾芭蕉没
1695年_14年後_15年目
1696年_15年後_16年目
1697年_16年後_17年目(十七回忌)
1698年_17年後_18年目
1699年_18年後_19年目
1700年_19年後_20年目(酒井忠義二十回忌、水戸光圀没)
1701年_20年後_21年目

よく考えたら十三回忌の6年前は七回忌である。

『水戸黄門』第40部第12話における先代庄内藩主法要が十三回忌である場合の劇中の「6年前」
1687年_06年後_07年目(七回忌)_ 6年前←第40部第12話における回想シーン
1688年_07年後_08年目_____ 5年前
1689年_08年後_09年目_____ 4年前
1690年_09年後_10年目_____ 3年前
1691年_10年後_11年目_____ 2年前
1692年_11年後_12年目_____ 1年前
1693年_12年後_13年目(十三回忌)←第40部第12話で光圀鶴岡訪問か

密姫は先代藩主の七回忌の年に鶴岡に嫁ぎ、十三回忌のときに鶴岡で光圀と再会したわけだ。

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