星明子年齢変遷

注釋1
飛雄馬中3のとき、川上哲治が星一徹に巨人のコーチの就任するよう要請。明子の最初の就職内定は取り消し。花形は星一家に学資の援助を申し出る。一徹はコーチ就任を断り、星一家は自力で飛雄馬の学資を作る決意。明子はガソリンスタンドに就職。この時点で明子が飛雄馬より1歳年上と假定すると66年で17歳。 その場合、星飛雄馬が王貞治と対戦したときから、青雲高校入学までの8年間、星明子と花形満は15~18歳のまま、ほとんど年をとらなかったことになる。

 

注釋2
河崎実氏が『「巨人の星」の謎』(宝島社)で「明子がUFOにさらわれ、『1943年生まれ』から『1948年生まれ』に記憶が変更された」とする説を述べ、「UFOによる変更」後の明子の年齢(1949年生まれ)を花形より1つ上にしている。

 

 

この「UFO假説」は花形の年齢の矛盾を解決するために河崎氏が考えたものだ。
もっとも、『巨人の星』の少年野球編、高校野球編、プロ野球編を別作品と解釋すれば、この「UFO假説」を想定する必要はなくなる。

 

 

『巨人の星』少年野球編の花形満が15歳、星飛雄馬が10歳だったとすれば、花形は1943年生まれである。明子が母・春江懐妊の年に生まれたなら1942年生まれで花形より1歳上、春江懐妊の翌年に生まれたのなら、1943年であり、少年野球編の花形満と同い年で計算が合う。
└→花形満と星飛雄馬年齢変遷(花形初登場時は中3と假定)

 

 

すると、アニメでの飛雄馬中3のエピソードはいつの話か。
飛雄馬が中学3年だったのは、少年野球編の基準で1963年4月から1964年3月まで。
高校野球編の飛雄馬が中学3年だったのは1965年4月から1966年3月まで。
プロ野球編の飛雄馬が中学3年だったのは1966年4月から1967年3月まで。

 

 

飛雄馬中3のとき花形満はすでに高校2年。誕生日後なら17歳。
明子が花形と同い年ならその年齢だったことになる。

 

 

明子が花形の子供を産んだのは推定1978年。少年野球編なら35歳だが、プロ野球編なら29歳。それほど遅い出産というわけではない。
└→花形満年齢変遷(「花形の子供」は今何歳か)

 

 

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