『巨人の星』の少年野球編では、1958年当時、星飛雄馬は10歳くらいで、花形満は15歳くらいであった。
しかし、プロ野球編では1967年で星飛雄馬16歳、花形満18歳なので、逆算すると1958年当時の星飛雄馬は7歳、花形満9歳になる。

 

では、『巨人の星』のプロ野球編を基準にして、ブラック=シャドーズ時代の花形と少年時代の星飛雄馬の対決が花形15歳くらい、飛雄馬10歳くらいとして西暦何年かを考えてみる。

 

 

この場合、星飛雄馬は1961年で10歳だが、このとき、花形はまだ12歳。
飛雄馬が10歳くらいの小学生で花形が中学生だとすると、1962年の飛雄馬が11歳で花形が13歳の時期、または1963年の飛雄馬が12歳で花形が14歳の時期であろう。
プロ編の花形が15歳になった1964年には、飛雄馬は13歳で中学生になっていた。

 

 

この時期、当然のことながら王貞治はすでに早稲田実業には在籍しておらず、王は1959年春に早稲田実業を卒業、巨人の選手になって、1962年から一本足打法を始め打撃開眼。
したがって、『巨人の星』プロ編の飛雄馬が小学校高学年時代に当時中学生の花形と対戦したとしても、そのとき、飛雄馬は王貞治とは対戦してはいなかったはずである。

 

 

この基準だと、1969年に飛雄馬が回想した8歳当時の話は1959年当時になる。
プロ編の飛雄馬が花形のノックアウト打法と対決したのは、当時の花形が中学生で飛雄馬が小学生だったとすれば1962年から1964年3月までの話。

 

 

また、やはり1969年に飛雄馬が回想した小学5年のときの早朝マラソンでの話は、11歳の年の末か12歳の年の初めになるので1962年末か1963年初めになる。
飛雄馬が隅田川中学の2年B組だったころ、青島や橘カオルとのエピソードは14歳の誕生日を含む年度なので、推定すると1965年4月から1966年3月までの時期になる。

 

 

高校野球編の飛雄馬が青雲高校高校に入学した1966年4月、プロ野球編の星飛雄馬は中学3年に進級したことになる。

 

 

なお、少年野球編の飛雄馬とプロ編の飛雄馬は、設定上は、もちろん同一人物なので、プロ編の飛雄馬は1967年秋の二軍時代に王、長嶋と対戦したときは、少年野球編の過去を回想していた。

 

 

プロ野球編の花形満は1949年生まれで、あらゆる基準の中で最も「若い」はずだが、それでも2009年で還暦を迎えた。プロ編の星飛雄馬は1951年生まれであり、2011年で還暦となる。
西暦2011年までに星飛雄馬と花形満は年齢が60代に達するわけだ。

 

 

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