よく「東アジアで共通の歴史教科書を作ろう」などという意見があるが、それは皇民化教育の裏返しで結局は全体主義である。
假に日本が東アジアを統一して『古事記』『日本書紀』の歴史を大東亜全土で教育したとしても「東アジア共通の歴史認識」になったはずで、事実、かつての日本列島と台湾、朝鮮、満洲では限定的に「東アジアで共通の歴史教科書」が使われたはずだ。

中国や韓国の教科書をそのまま翻譯して東アジア全土に押し付けたところで、それは同じことである。
そもそも、中国と朝鮮では高句麗や渤海に関する解釋が異なる。

さて、歴史認識に敏感な人たちがどういうわけか、謎を謎のまま放置しているのが邪馬台国問題である。
日本の政治家などが歴史について何か言うたびに、中国や韓国のコメントが問題になるのに、邪馬台国の位置について中国政府の公式見解はないのだろうか。それどころか、日本政府の見解もはっきりしない。

昭和の戦争に関しては「日本政府の歴史認識」がいつのまにか決められているのに、邪馬台国に関しては政府の公式見解がないのはまことに奇妙である。

邪馬台国は『魏志倭人傳』という古代シナの歴史書の記述にある国であるから、そもそも『倭人傳』が『古事記』『日本書紀』と同様、信用できるかどうかという基本から考えないといけない。

「任那日本府」があったか、なかったかが一部で論争の主題になるのに、「邪馬台国」については『倭人傳』にあったからというだけで、皆がその存在を信じているのだから奇妙な話だ。

さて、邪馬台国に関しては一つだと思うのが問題なのであって、古代シナの歴史家が日本のことを正確に認識していたわけがない。古代シナの人間が古代の倭国に複数存在した小国家を一つにまとめて「邪馬台国」に仕立て上げたというのが真相だろう。したがって卑弥呼も九州にもいたし近畿にもいた、それどころか卑弥呼には2代目、3代目もいたと解釋するのが妥当だろう。
例えば、日本武尊が一人の特定の人物でなく、大和朝廷の複数の人物の代表であるという説明のようなものだ。

確か『朝ズバッ!』で片山善博氏が「自分は九州説支持」と言っていたと思うが、元鳥取県知事でもさすがに邪馬台国が出雲だったとは言わないようだ。

2009年に安本美典氏が『「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚妄を衝く!』という本を出している。

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2009年11/12