「知床旅情」のレコードでは「久弥」なのに、ずっとあとで出たCDでは「久彌」、つまり漢字簡略化の流れに逆らう逆行現象が起きている。
森繁久弥は1913年(大正2年)生まれで96歳。
1912年(大正元年)が明治の最終年(明治45年)であるから、ロンドン五輪の年に明治生まれは100歳以上となり、もうこの世には大正生まれも少なくなっただろう。
享年96歳。女優・原ひさ子(1909~2005)も同じ年で没した。

 

森繁久弥というと「社長シリーズ」「駅前シリーズ」が盛んに紹介されている。
植木等の「無責任シリーズ」と似た位置づけで、高度経済成長期の日本を元気づけたということであろう。
「知床旅情」は子供のころから加藤登紀子の歌で聴いて印象的だった。
学校の音楽の時間で習った「早春賦」と最初のメロディーがそっくりで、おそらく森繁が作曲のときに、自然にこの旋律を口ずさんだのだろう。
「白夜」(Wiki)を「ビャクヤ」と読むのはアルフィーの曲でも採用されたが、『朝ズバッ!』によると、どうも森繁がひろめたらしく、そのまえは「ビャクヤという詞(ことば)はない」とも言われたらしい。すると森繁は「では白虎隊(ビャッコタイ)はハッコタイと言おうか」とコメントしたらしい。

 

日テレでは『忠臣蔵』(大石内蔵助が里見浩太朗、浅野内匠頭が風間杜夫、吉良上野介が森繁)の映像が少し出たが、TBSの森繁報道で『江戸を斬る』の映像は見当たらなかった。

 

水戸光圀を演じた役者と吉良上野介を演じた役者は重複することが多い。森繁はナショナル劇場では光圀を演じてはいないようだが、ナショナル劇場で何度も出演しており、『江戸を斬る』水戸斉昭も演じている。
1975年のNHK大河『元禄太平記』(Wiki)では森繁が光圀を演じた模様である。
また、森繁の場合、『小説吉田学校』の吉田茂(1878~1967)役はそっくりであった。
里見浩太朗、西田敏行、西郷輝彦と共演が多いのも当然だろう。

 

メディアが経歴の年号を紹介する場合、元号と西暦の2種類があるので、まとめてみる。

 

1913年 大正2年 森繁久弥誕生
1939年 昭和14年 NHKアナウンサーになり、満洲で勤務
1945年 昭和20年 いわゆる「終戦」
1956年 昭和31年 「社長シリーズ」(Wiki)スタート
1958年 昭和33年 「駅前シリーズ」(Wiki)スタート
1960年 昭和35年 「知床旅情」作詞、作曲
1967年 昭和42年 『屋根の上のヴァイオリン弾き』開始
1975年 昭和50年 『元禄太平記』『江戸を斬るII』(Wiki
1983年 昭和58年 映画『小説吉田学校』
1984年 昭和59年 「アフリカに毛布を送る会」会長に
1985年 昭和60年 日テレ『忠臣蔵』
1986年 昭和61年 日テレ『白虎隊』
1987年 昭和57年 『江戸を斬る』(Wiki
1991年 平成3年 文化勲章受章。当時は海部首相の時代
2003年 平成15年 『水戸黄門』1000回記念SP(Wiki

 

「アフリカに毛布を送る会」に関しては、森繁久弥が安倍晋太郎と会談する映像があった。

 

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