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水戸黄門の問題解決法は民主主義と地方自治を否定している
『水戸黄門』を観る限り、日本各地の大衆は身近な問題について自分で努力せず、「葵の紋」のような中央の権威を引っ張ってきて「誰かに解決してもらうこと」を願っているように見える。
つまり、「地方分権」と相反するものでありながら、常にセットになって語られる「陳情」である。
水戸黄門の問題解決法は民主主義と地方自治を否定している
『水戸黄門』を観る限り、日本各地の大衆は身近な問題について自分で努力せず、「葵の紋」のような中央の権威を引っ張ってきて「誰かに解決してもらうこと」を願っているように見える。
つまり、「地方分権」と相反するものでありながら、常にセットになって語られる「陳情」である。
『水戸黄門』のストーリーの根幹をなすのは、言ってしまえば地方政治への偏見と民主主義の否定である。代官は「悪代官」と呼ばれるほど、悪の象徴になってしまった。『水戸黄門』では日本各地の政治や経済で常に不正がおこなわれ、現地の為政者も庶民もこれを是正することができず、関東から派遣された水戸光圀という長老がいつも歩きまわって、各地をかき回して目の前の個別の時間だけ解決して去って行く。代官や家老が不正を働いても、いつも藩主は知らないままであった。
つまり、地元の問題は地元で解決できず、庶民は無力で、藩主は部下に対して監督不行き届き。
問題を解決できるのは光圀一人だけ。これが『水戸黄門』の世界観である。
しかも、問題が解決したように見えるのは光圀が滞在している短い間だけで、光圀一行が去るとまた同じ問題が起き、光圀は何度も全国を歩き回り、各地で乱闘事件を起こしては葵の紋を必ずひけらかす。
これのどこが「忍び」なのか。
問題を解決できるのは光圀一人だけ。これが『水戸黄門』の世界観である。
しかも、問題が解決したように見えるのは光圀が滞在している短い間だけで、光圀一行が去るとまた同じ問題が起き、光圀は何度も全国を歩き回り、各地で乱闘事件を起こしては葵の紋を必ずひけらかす。
これのどこが「忍び」なのか。
日本人がこういうドラマを歓迎しているということは、自分たち庶民が政治に参加することを初めから放棄し、どこか巨権力を持った人がどこからかやってきて、問題を解決してくれることを願っているからなのだろう。
光圀のしていることは食品偽造に対する抜き打ち検査のようなものだろうが、それなら特定の個人を歩かせるより、各地に公儀隠密でも派遣するほうがましである。
少なくとも、『水戸黄門』が人気番組である限り、日本で真の民主主義は根づかないだろうという意見はあるようだ。
Y!Japan Search、Google
↑水戸黄門 民主主義 で検索
光圀のしていることは食品偽造に対する抜き打ち検査のようなものだろうが、それなら特定の個人を歩かせるより、各地に公儀隠密でも派遣するほうがましである。
少なくとも、『水戸黄門』が人気番組である限り、日本で真の民主主義は根づかないだろうという意見はあるようだ。
Y!Japan Search、Google
↑水戸黄門 民主主義 で検索
『水戸黄門』は地方分権の逆の方法を繰り返し見せつけている。
ドラマ『水戸黄門』のスタイルはこのようなものだ。
1.「日本各地でいつも問題が起きており、権力者の親戚が外から来てすぐに解決」
2.「地元の問題を地元では解決できない地方自治否定」
3.「地元の為政者も民衆も解決できなかった問題を部外者が数日(推定)で解決」
4.「“各地で何度不正が生じても、中央から助っ人に来てもらえばいい”という他力本願」
5.「不正、腐敗をもとから防ぐ考えが欠けた付け焼き刃的な対症療法」
6.「“権力の腐敗を正すのはそれより上の権力以外にない”という体制肯定」
1.「日本各地でいつも問題が起きており、権力者の親戚が外から来てすぐに解決」
2.「地元の問題を地元では解決できない地方自治否定」
3.「地元の為政者も民衆も解決できなかった問題を部外者が数日(推定)で解決」
4.「“各地で何度不正が生じても、中央から助っ人に来てもらえばいい”という他力本願」
5.「不正、腐敗をもとから防ぐ考えが欠けた付け焼き刃的な対症療法」
6.「“権力の腐敗を正すのはそれより上の権力以外にない”という体制肯定」
一種の「モグラたたき」である。