土井監督がイチローを二軍に落としたことについてI

『巨人の星』では「獅子がわが子を谷底につき落とす」という傳説がよく語られる。実際のライオンはそんなことはしないらしいが、連獅子の獅子の話によるものらしい。川上もONもそれで育ったということは『巨人の星』で語られている。
土井監督がイチローを二軍に落としたのは、川上監督や長嶋監督が星飛雄馬を二軍に落としたのと同じで、鍛えるためだったのだろう。そこは納得できる。

二番打者で二塁手、バントの名人というのは『ドカベン』の殿馬に似ている。
イチローの打法は岩鬼の悪球打ちと殿馬の秘打を合わせたようなものだ。
その殿馬が、イチローがオリックスにいたとき、イチローと同僚だったのも何かの縁か。
なお、殿馬がオリックスに入ったとき、オリックスは仰木監督の時代であった。

もし、長嶋や王が監督だった球団に若きイチローが入団していたら、長嶋や王はイチローを早くから一軍で起用したであろうか。イチローが「王監督」の指揮下に入ったのは、イチローがメジャーで実績を積んだあとのWBCでのことである。

イチローが生まれたのは1973年、巨人がセ・リーグV9を決めたときであった。松井秀喜は長嶋茂雄引退の年に生まれた。すでに巨人V9も過去の「傳説」になっている。

おそらく土井監督はオリックスの監督を数年続けて、イチローの成長を見極めてから一軍に引っ張り上げるつもりだったかも知れない。それがその前に解雇され、仰木監督が就任してイチローを一軍に入れた。
土井監督は川上巨人時代の一人の監督が長く選手を鍛える感覚でいたのだろうが、1990年代の合理主義は結果がないとすぐ監督を解雇するシステムで、土井監督はそれに適応できなかったか。

王貞治がダイエーの監督になって、最初、負けが続いたとき、中内功が引き留めた。中内功は1980年代までの経営者だったのだろう。
今のソフトバンクだけでなく、楽天の監督解雇を見ても、現代のIT企業の合理主義を垣間見る気がする。

前後一覧
2009年11/4