漫画ではいきなり中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺する場面をメインに描いている。

執筆した漫画家は異なるものの、この雑誌では、古代の魏に朝貢した卑弥呼を平和的な女帝のように描き、隋に「無礼」なてがみを送った聖徳太子を少し不良の王子として描き、大化の改新については天皇による政権の成立が血に染まったものであることを強調しているような流れである。

河合敦氏の連続コラムがあり、この号でも『日本書紀』を批判している。河合氏は『日本書紀』を朝廷の命令で書かれた「勝ち組がつくった歴史書」であることから、信憑性に疑問があると書いているが、中国の歴史書も皇帝の視点で書かれたものだろうし、易姓革命で政権を勝ち取った王朝で作られた歴史書などまさに「勝ち組の歴史館」である。

『日本書紀』に異論が多いということを河合氏が描いているが、具体的に誰によるどういう異論かはっきりしない。それに『魏志倭人傳』についても異論があるのが当然であろう。

河合氏は「『日本書紀』を本当の歴史とうのみにすることはとても危険」としているが、「『魏志倭人傳』のような中国の歴史書をそのまま歴史と考えるのも危険」であるし、「朝日新聞出版『週刊マンガ日本史』をそのまま歴史と考えるのも危険」である。
結局、河合氏のコラムも河合氏個人の意見にすぎない。

『魏志倭人傳』が中華思想の歴史書であることは渡部昇一と谷沢永一の『こんな「歴史」に誰がした』で述べられており、邪馬台国の位置が福建省の近くになってしまうことにそれが現われている。『マンガ日本史』はそれを説明できていない。
西尾幹二は『国民の歴史』で「『魏志倭人傳』は歴史資料に値しない」としている。

河合氏が『日本書紀』に対する疑問の理由の一つとしている「『日本書紀』が改新から70年たってできた歴史書である」ということは何ら問題ではない。
それなら大東亜戦争に関して60年後、70年後に戦勝国の立場から語るのはどうなのか。

「勝ち組の歴史書」が問題なら、戦勝国の立場で敗戦国を断罪する歴史認識も問題であろう。
それなら敗戦国から語った開戦の大義を述べた人物が次々更迭されている日本はおかしいことになる。

『日本書紀』を疑うべきなら、『マンガ日本の歴史』を疑うことも必要だ。
河合敦氏は歴史を教える仕事をしていることだが、本当の学習は講師の言うことをうのみにしないで疑うことから始まる。

大化の改新は西暦645年。第1回遣唐使が630年で、それから15年後であった。
一方、『西遊記』で有名な玄奘が長安から天竺に向けて出發したのは629年という説が有力のようで、玄奘が帰国したのが大化の改新と同じ645年。
646年には日本で改新の詔(みことのり)が、唐で『大唐西域記』が出ている。

西暦130年ごろの後漢の時代、孫悟空が釋迦如来によって五行山に封じ込められた。その後、日本でも180年ごろまで戦乱の時代で、卑弥呼が西暦248年ごろまで統治。

シナでは『三国志』で有名な三国時代、『花木蘭』で描かれている南北朝時代をへて、隋によるシナ統一、隋が滅んで唐建国という流れになる。
『西遊記』ではこの時代が人間界の戦乱の時代で、それで釋迦が人間界に三蔵の経が必要と判断し、玄奘による旅が始まったわけだ。


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2009年10/30