山田サチ子と山田太郎の年齢差I

『ドカベン・プロ野球編』の基準で言えば、山田太郎は1976年5月5日生まれ、岩鬼正美は1977年の早生まれで4月1日が誕生日。山田サチ子は太郎より9歳年下で、かつ、太郎が中3のときに小1だったとすれば、1985年の早生まれなので、84年度生まれの学年になる。この場合、太郎が中3でサチ子が小1だったのは1991年春から92年春である(注釋2)。
山田サチ子は西暦2009年の誕生日で24歳。

 

 

もし、サチ子が早生まれで、太郎の生まれた年の9年後に生まれたとすると、サチ子は新年の初めから3箇月の間に生まれたことになる。この「サチ子が生まれた年」は明訓編の初期なら1967年、『プロ野球編』の設定なら85年である。

 

 

 

おそらく山田太郎にとって小2の3学期かそのあとの春休みの途中にサチ子が生まれて、この時点で太郎と8歳差。小4の1学期が始まって1箇月ほどたった5月5日に太郎が9歳になってサチ子と9歳差になった。この9歳差は翌年のサチ子の1歳の誕生日の前日まで続いた。そしてサチ子の1歳の誕生日の時点で太郎とは再び年齢差が8歳に縮み、さらに太郎が小3に進級したあと、また1箇月たった5月5日に太郎が10歳になって、再びサチ子との年齢差が9歳に戻った。ここで太郎は小学4年生であった。

 

 

 

バスの轉落事故があったのは太郎10歳のとき、明訓編初期の設定では1968年5月5日から1969年5月4日まで、『プロ野球編』の設定では1986年5月5日から1986年5月4日までのできごとである。

 

 

 

サチ子が太郎より9歳年下の早生まれとすると、サチ子は岩鬼より8歳年下で、8年後輩になる。
└→山田サチ子と山田太郎の年齢差III

 

 

 

前後一覧
09年10/28~29 10/29

 

 

 

関連語句
サチ子

注釋3
長嶋茂雄と王貞治の場合が事情が逆で、年上である長嶋のほうが早生まれなので、長嶋と王の学年差は5年だが、年齢差は4年である。1957年秋のドラフトで長嶋茂雄は大学4年、王貞治は高校2年、その次の1958年の秋のドラフトのとき、王貞治は高校3年であった。長嶋が大学4年から巨人に入った年の翌年に王が高校3年で巨人に入った。王は長嶋よりプロで1年後輩、年齢で4歳年下、学年で5年後輩である。
もし、長嶋茂雄が早生まれでなければ、王と長嶋は同期だったはずだ。

 

 

 

注釋2
『大甲子園』と『プロ野球編』の間の『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』では、1991年夏に山田太郎が神奈川明訓高校の3年生であった。この太郎は1973年の5月生まれで、山田サチ子が9歳年下で早生まれとすると、82年の1月1日~4月1日、つまり81年の第1四半期(1月1日~3月末)か4月1日のいずれかの日に生まれたことになる。

参照
スポーツ全般、梶原vs水島他(2009年10月20日~30日)