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『ドカベン特別編・俵と白球』【作品】

『俵と白球』は『週刊少年チャンピオン』2009年17号(4月9日号)に掲載。
2009年6月8日發賣の『ドカベン・スーパースターズ編』第29巻に収録。
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この1976年5月前後、『ドカベン』本編ではどうなっていたか。

少年チャンピオン・コミックス『ドカベン』の第21巻が1976年(昭和51年)4月5日初刊。内容は山田太郎が明訓高校1年の秋、徳川監督時代の後半、里中をキャプテンとして東海高校を相手に県大会を戦っているところから始まり、里中が代打、明訓が東海に勝利し、横浜学院と対戦。殿馬が「秘打・白鳥の湖」で三塁打を放ったあと、左手を負傷した山田が右手だけで土門の球を打とうとする場面まで。

アニメは半年後の1976年10月に山田中学編で始まったが、第21巻の山田高1秋に相当するアニメの内容は68「代打里中!山田をかえせ!」から72「再演!秘打『白鳥の湖』ずら」までであろう。

続く少年チャンピオン・コミックス『ドカベン』第22巻は1976年(昭和51年)6月20日刊行。
『プロ編』山田太郎と同世代の城島健司が1976年6月8日に生まれている。

つまり、少年チャンピオン・コミックス『ドカベン』第21巻と第22巻が出る間の時期に『ドカベン・プロ野球編』の山田太郎が生まれたわけだ。
第22巻は山田が片手で打ち、土門が打球を足で止めて併殺のするところから始まり、最終的に微笑のHRで明訓が勝利。徳川監督に代わって土井垣が監督に就任するが、優勝旗盗難が判明するところまで。
アニメでこれに相当する内容は73「痛烈!ピッチャーがえしの片手打ち」から77「消えた?深紅の大優勝旗 」に相当する部分である。

1970年代の山田太郎
なお、アニメ『ドカベン』が始まった1976年10月6日当時、『プロ編』の山田太郎は生後約5箇月。
原作では山田高1秋関東大会を描いた第25巻から1977年初刊だが、77年の誕生日で『プロ編』の山田太郎は1歳。王貞治が756号を打ったときは1歳と約4箇月だったわけだ。
原作で太郎が高2春選抜の抽選の日、打撃練習をしているところを田淵と掛布がスタンドから観る場面があるが、これが描かれたとき、『プロ編』の太郎は1歳だったことになる。

さらに、原作で山田高2春選抜を描いた第30巻から1978年刊行になるが、この78年で『プロ編』の太郎は2歳。
原作では山田高2夏の予選のときに単行本が1979年刊行になるが、この79年で『プロ編』の太郎は3歳。
つまり、『ドカベン』で明訓が弁慶高校に敗れたとき、『プロ編』の太郎は3歳児だったわけだ。
└→1980年代の山田太郎(『俵と白球』から推定)

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09年10/26