弥生→ヤマト、飛鳥、唐代(『西遊記』取経編)

つたえられる「史実」では玄奘は許可をもらえず、国禁を犯して出国したが、帰国の際には歓迎されたとのこと。
 
ここで、長安に出たのを「出国」、長安についたのを「帰国」と呼ぶことの曖昧さを指摘しておく。唐は廣大な面積を領有しており、今の中国内モンゴル、チベットやウイグルが別の国だったとしても、長安を出たあと、しばらくは出国しておらず、天竺の国内に入っても、経を得る目的地には達していなかったはず。
 
玄奘は三蔵真経を取りに行くことになったときから「三蔵」を名乗った。徳川光圀以外にも「水戸黄門」がいたように、玄奘以外にも「三蔵法師」はいたようだ。玄奘の幼名は「江流(かうりう、現代北京音Jiāng-liú)」で、日テレ版『西遊記』2作(1978~80年)で玄奘の母は最初、玄奘を「江流」と呼んでいたが、のちに「三蔵」と呼ぶようになった。
 
中国では玄奘が「唐僧(Tángsēng)」と呼ばれており、これでは鑑真も唐の僧なので曖昧すぎる。

大黒屋光太夫もジョン万次郎も、漂流とはいえ、国禁を犯して国外から帰国した「犯罪者」だったが、幕府は彼らを利用した。法律など、そういうものだ。

飲酒運轉をした男がひき逃げを謀り、被害者を5kmも引きずったニュースがあり、その直後に交通事故の被害者遺族の集まりが報道された。
中国では四川省の地震から半年経過し、耐震構造を強化する動きがある。国際シンポジウムも開かれ、中国では西暦2020年までの建物がマグニチュード6に耐えられるようにするらしい。

しかし、「国の言いなりにならない」ということを美化する「反体制派」が多いと、こういう動きの効果も限界がある。教育基本法改正に反対する人たちが「子供は国のものではない」と主張しているようだが、子供が「国の宝」でなくなったので、社会が子供を守ろうとしなくなったのである。子供が通う学校を頑丈にする、車を運轉する者は子供をひかないよう注意する、といったことは子供を「国の宝」と考えればわかるが、子供が親の私物になると、親ですら子供を死なせるようになる。

政府の方針に異を唱えた空幕長の論文は「国の言いなりにならない市民運動」であるし、国旗掲揚や国歌斉唱を拒否する教師は「政府の見解にしたがわない暴走」をしているわけで、そういう教師こそ、更迭されて当然であろう。
2008年11月16日20:47

さて、そうなると自衛隊幹部が「政府見解と異なる歴史認識」を書いたことで更迭されたことを思い出すと、この自衛隊幹部は「国の言いなりにならない」という信念を貫いたと言える。