一応、「聖徳太子」という名で紹介してあるが、この雑誌ではそれが「没後の名」であること、「厩戸皇子」が強調され、さらに「聖徳太子はいなかった」あるいは「政治に参加していなかった」とする否定的意見を随所に紹介している。
しかし、誰が言っているかは詳しく述べられていない。

また、聖徳太子の業績について書かれた『日本書紀』についても「朝廷の命令で書かれた『日本書紀』に書かれてあるだけ」という理由で疑問視する意見も掲載されている。それにより、今の日本の歴史教科書では聖徳太子の記述は減り、推古天皇の脇役扱いになっているとのことである。

しかし、この雑誌が聖徳太子の存在を疑うのも妙である。
『日本書紀』が日本の朝廷の命令で書かれた本というだけで、なぜその信憑性を疑うのか疑問である。この雑誌で盛んに史料としている「中国の歴史書」もシナ皇帝の命令で書かれたものであろう。

この雑誌が『日本書紀』を初めから軽視し、「中国の史書」に偏っている姿勢がまた見えた。
それでも「聖徳太子」という名の摂政が遣隋使復活や十七条憲法、冠位十二階などを制定したという從来の説を紹介しているのは、まだ、世間に配慮した結果か。

時代的には卑弥呼から推古天皇に話が飛んでいる。創刊号で応神天皇を「第1代天皇」としながら、その応神天皇がどう即位し、邪馬台国とどういう関係になるか、何も書かれていないのも妙である。

各号の絵はそれぞれ別の漫画家が交代で描いているが、魏に朝貢した卑弥呼が善玉風に描かれ、隋に「無礼な」親書を送った聖徳太子が少し不良の男に描かれているのは、やはり朝日新聞社の歴史館か。

かつて、カゴ直利が描いた日本史の漫画の場合、厩戸皇子が若くて、佛教をめぐる蘇我と物部の戦いのところでは、物部尾輿、守屋の顔がわし鼻で悪玉風に描かれていた。ところが、これが聖徳太子が没して、その子・山背大兄王が殺され、中大兄皇子と中臣鎌足による大化の改新が迫ると蘇我蝦夷と入鹿がわし鼻の悪玉顔になってくる。
やはり、こういうイメージによって歴史を正当化する必要があるのだろう。

「聖徳太子はいなかった」という説があるなら「卑弥呼はいなかった」という説もあってよさそうなものだ。