元号は中国産だが、今の中国ではすべて西暦に切り替わっている。

その代わり、まだ陰暦を採用しており、陽暦の元日は比較的静かで、1月の終わりか2月の初めあたりに「旧正月」を盛大に祝うのは有名。端午の節句(五月五日)も旧暦なので、中国人は陽暦の6月あたりに粽(ちまき)を食べす。中国では七夕も陰暦なので日本では梅雨明け後になり、空の心配は無用である。

中秋の名月を観る中秋節は陰暦の8月15日であり、陽暦では秋になる。

また、中国人は誕生日を陰暦と陽暦で2種類持っており、自分の年齢は概数であいまいに言い、何歳かは干支で察してもらうことが多いようである。

中国のカレンダーには陰暦の日付(ひづけ)もついている。
日本のカレンダーで陽暦だけで陰暦がないものが多く、こうなると中華街のスケジュールなどがわかりづらくなる。

2009年で太宰治が生誕100年なのは西暦1909年生まれだからわかることで、明治42年生まれでは平成21年と何年差があるのかわからない。
逆に言えば平成21年は明治142年だとわかる。平成22年(西暦2010年)は明治143年である。
つまり明治43年(西暦1910年)から100年後が西暦2010年だ。

太宰治の没年は1941年であり、これは昭和16年。
太宰治は明治42年に生まれて昭和16年に没した。これでは時間の長さがわかりづらい。

昭和に生まれ育った人の中には「平成21年て、結局、昭和何年?」と言いたい人も多いだろう。
ちなみに、平成21年、西暦2009年は昭和で言えば「昭和84年」である。来年は「昭和85年」になる。

元号の場合、1910年が明治43年で、1912年が大正元年、1923年が大正12年で、1940年が昭和15年…では何年後にどの時代になったかわかりづらい。