一方、1998年の長野五輪の年に生まれた人は2009年の時点で日本での五輪を記憶していないはずだが、夏の五輪に限っても2020年で22歳、2024年で26歳、さらに2040年になってもまだ42歳である。
長野五輪のときに生まれていなかった世代が、今後、日本で五輪を観たいと思ったとしても。、別に2016年の五輪を東京に招致しなくても、2020年以降になってからゆっくり検討してよかったわけだ。
東京が2016年の五輪に立候補したのは早すぎたし、地理的な公平性でいえばリオになることは初めから決まっていた。2004年のアテネと2010年のロンドンが6年間隔で両方とも欧洲、冬の五輪でも2002年のソルトレイクと2010年のバンクーバーが北米同士という偏りがあるにはあるが、それならなおさら南米を押して地域の公平性を優先させるのが五輪の良心であろう。
「ロンドンが3回やっているから東京も2回やっていいはず」というのは、最初に東京五輪を実現させたIOCの精神にそむくことになる。