『水戸黄門』と『暴れん坊将軍』の接点I

井口朝生『徳川吉宗』によると、吉宗は1716年に公儀から将軍就任を要請されたとき、江戸城で綱條と会っている。『水戸黄門』における綱條はまだ若い姿であるが、『暴れん坊将軍』に登場した綱條は初老に達していた。綱條は1718年に没している。吉宗が将軍になって2年後である。すると、『暴れん坊将軍VIII』第10話の逸話は1716年から1718年までの間になる。

『水戸黄門』第28部と第38部における時代設定の前後関係が気になるところだ。吉宗が「新之助」を名乗ったのが1695年以降として、第28部がその時代を描いたとすると、第38部は吉宗が「源六」だった時代だから、第38部は第28部より前の時代に戻っていることになる。少なくとも松尾芭蕉が登場する第40部は芭蕉が没した1694年より前の話である。

第40部は光圀のお供から「引退」した「うっかり八兵衛」が「ちゃっかり八兵衛」にその役目を譲った話のように見えるが、第28部に「うっかり八兵衛」が登場していたとすると、八兵衛は1694年ごろに一度、光圀のお供から離れて「ちゃっかり八兵衛」に譲りながら、1695年以降にまた「うっかり八兵衛」が光圀のお供に戻ったことになる。

綱條は1656年生まれなので、光圀が隠居していた時期は数え年35歳から45歳まで。吉宗が将軍になったとき、綱條は数え年61歳で、2年後に63歳で没したことになる。したがって、『水戸黄門』に登場する綱條は35歳から45歳まで、『暴れん坊将軍』に綱條が登場したとすれば劇中の年齢は61歳から63歳までになる。

鳩山内閣の行政刷新委員のメンバーに鳥取県元知事の片山善博氏がいる。
少し前、片山善博氏は『中央公論』で改革派知事への幻想を「水戸黄門幻想」として批判していた。光圀一行が全国を回って各地に短期間だけ滞在し、個別の事件を解決してすぐ立ち去ってよそに行く手法は、いつも根本的な解決になっておらず、各地の長期的な改善につながっていないので光圀たちが去るとまた各地で不正が生じる。その結果、光圀は何度も全国行脚をする。日本人がこういうやり方を理想であるかのように考えているのが問題だという趣旨だ。まことに同感である。

「史実」では光圀はほとんど関東地方の内部を動いただけだけだったらしい。それはそうであろう。
光圀には水戸や江戸でやる仕事があるはずだ。ドラマにあるように日本全国で不正があったとしても、幕府は特定の個人に何度も諸国漫遊をさせるより、江戸から日本全国に公儀隠密を派遣し、各地に常駐させるほうが得策であった。
ドラマのように関西で吉宗が光圀と会うことはありえず、あるとすれば吉宗が江戸に入ったときだけであろう。また、世代的に吉宗にとってよく顔を合わせた水戸藩主は光圀でなく綱條であっただろう。

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09年8月末 9/4 10/19