2016年五輪開催地決定の際の票数I 

票数の推移から推定した票の流れを図にすると、こうなる。

 

 

1回目;リオ__シカゴ____東京___マドリード
____26票_18票____22票___28票
____┃__┃___┏━┫____┃
____┃__┃___2票_20票___┃____1票
____┣━━┻━━━┛_┃____┣━━━━┛
2回目;リオ________東京___マドリード
____46票_______20票___29票
____┣━━━━━━━━┛____┃____3票
____┃_____________┣━━━━┛
3回目;リオ_____________マドリード
____66票____________32票

 

 

 

リオがシカゴと東京の票を吸収しており、東京がシカゴへの票を取り込めなかったことがわかる。

 

 

 

北米では1996年夏のアトランタ、2002年冬のソルトレイクというように五輪は何度も開催されており、2010年にもカナダのバンクーバーがある。
欧洲は五輪の本場であるから賛否はともかく多いのは当然で、2004年夏のアテネ、2006年冬のトリノ、2012年夏のロンドンも欧洲である。そのあとにマドリードでは欧洲が夏の五輪で連続し、これはいくらなんでも欧洲に偏り過ぎだという判断が委員たちの間にあったのだろう。最終投票まで残ったのはサマランチ氏へのせめてもの配慮か。
やはり、選考委員は南米初のリオを選んだわけだ。

 

 

 

毎日新聞によると、委員は「シカゴは楽勝だろう」と見て、東京に票が集まり、シカゴが落選したらしい。アメリカの五輪は「東京が落ちたらその票がシカゴに、マドリードが落ちたらその票はリオに行く」と考えていたようだ。
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リオとマドリードは当初、一方が落選したら他方に投票するという協力の協定を結んでいた。選挙間近になってスペイン側からリオを批判する發言があり、仲間割れになったかに見えた。しかし、結果としてリオとマドリードが最終投票で激突し、リオが勝利したことで、その問題は解消されただろう。

 

 

 

問題はシカゴと東京である。アメリカ側は「東京が先に落ちたらその票はシカゴに行く」と踏んでいたようだが、東京誘致派はシカゴが先に落ちた場合のシカゴ票を取り込むことを考えていなかったのだろうが。票数の推移を見ると、最初、シカゴに入った18票は、シカゴが落ちたあとで東京でなくリオに行っているようだ。

 

 

 

つまり東京誘致派はシカゴの初戦敗退を想定していなかったようである。シカゴ落選ですでに日本の負けも決まっていたようなものか。そうだとすれば、シカゴが落ちたときに、テレビの前で日本人メダリストたちを含む東京誘致派の面々が「つかの間の喜び」にひたっていたのは、誠にむなしい。その直後に東京誘致派の面々は東京落選の事実を思い知らされることになったわけだ。

 

 

 

1964年の五輪の場合、五輪の進歩のためには東京という五輪未経験の地域で開催する意味はあった。
2016年五輪の場合、東京が招致したのはあくまで「経済効果」を狙った東京にとっての都合であり、五輪の側にとって東京で2016年に再度開催する必然性はなかったのである。

 

 

 

もし石原都知事がIOCの開催地選考過程に不満であれば、日本は今後、永遠に五輪をボイコットすればいい話である。ただ、石原知事は五輪を批判しつつ五輪の権威にすがりたい人のようなので、ボイコットはないだろう。
「招致による経済効果」を見込む人もいるだろうが、世界にとっては日本より中国、ブラジルといった新興国の「経済効果」のほうが魅力的だっただけの話。「経済効果」を言うならなおさらブラジルのほうがよかったわけだ。
└→2016年五輪開催地決定の際の票数III

 

 

 

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