前の1964年の東京五輪が決まったとき(1959年らしい)は、今度のリオのように「新しい地域に五輪を与えよう」という革新性がIOCで優先され、日本もそれに乗った形であった。
この革新性は、世界中に公平に五輪を開催してもらうため、極力、今まで開催したことがない地域を選ぶということである。

 

 

しかし、実際はスポンサーとの関係、都市の財政や開催能力の程度から、欧州、豪州、北米に偏ったり、ロンドンのように同じ都市で2回やるような「保守性」も残っている。この保守性は五輪の理想とは相反するものだろう。

 

 

 

今回の日本がやった東京五輪招致は、かつての革新性とは対極にある保守性(どちらかと言えば五輪の理想から離れた現実性)に乗っかったのが問題だった。ロンドンは2度やっているから東京で2度でも恥ずかしくないとか、北米や欧州は短い間に何度もやっているから北京のあとにロンドンを挟んでまたアジアでもいいはずだという打算が働いたのであろう。

 

 

 

つまり、かつて最初の東京五輪を目指したとき味方にした五輪の理想、革新性を今回、否定してしまった、昔の日本が打ち破ろうとした五輪の保守性に今回は東京が乗ってしまった。それがリオに敗れた原因である。

 

 

 

1964年当時と今では日本人にとっての五輪の意味が違い、五輪にとっての日本の意味も当時と今では違う。
1964年当時、東京五輪は日本初の五輪であり、アジア初の五輪だったから、1959年の時点で東京は日本の代表であると同時にアジアの代表として選ばれたわけだ。しかし、その後、1972年に札幌、1998年に長野でおこなわれ、日本以外のアジアでも88年ソウル、2008年は北京で五輪がおこなわれた。
今回も東京は福岡と「国内の地域間の争い」をへて候補地となった。つまり、東京はもはやアジア代表でもなく、日本代表でもなくなっていた。
石原都知事はそれに気づきながら見ないふりをしていたのであろう。

 

 

 

今は招致による経済効果など当てにする時代ではない。招致できなかったときの経済的損失のほうが問題である。それより五輪開催国への投資のほうがまだ経済効果を期待できる。

 

 

 

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09年10/3 10/6