中村主水年齢変遷(元禄から幕末まで30年間隔で40歳基準)
中村主水年齢変遷(江戸後期から21世紀初めまで30年間隔で40歳基準) 

30年間隔だと、元禄から21世紀まで何代か。
「初代」:1661年で1歳→1700年で40歳(「元禄の主水」)
「2代目」:1691年で1歳→1730年で40歳(「享保の主水」)
「3代目」:1721年で1歳→1760年で40歳(「家重~家治の時代の主水」)
「4代目」:1751年で1歳→1790年で40歳(「寛政の主水」)
「5代目」:1781年で1歳→1820年で40歳(「文政~天保前期の主水」)
「6代目」:1811年で1歳→1850年で40歳(「天保後期~幕末の主水」)
「7代目」:1841年で1歳→1880年で40歳(「明治時代の主水」)
「8代目」:1871年で1歳→1910年で40歳(「明治末~大正の主水」)
「9代目」:1901年で1歳→1940年で40歳(「昭和前期の主水」)
「10代目」:1931年で1歳→1970年で40歳(藤田まことは1970年当時37歳)
(間の世代1):1941年で1歳→1980年で40歳(20年間隔では「15代目」がこの世代)
(間の世代2):1950年で0歳(1951年で1歳)→1990年で40歳(三田村邦彦は1990年当時37歳)
「11代目」:1960年で0歳(1961年で1歳)→2000年で40歳(東山紀之は2000年当時34歳)
「12代目」:1990年で0歳(1991年で1歳)→2030年で40歳(2010年では20歳)

こうして観ると、藤田まこと主演『丹下左膳』で丹下左膳が知り合いだと言った「享保の中村主水」は「2代目」のみということになる。20年間隔の場合では「享保前期の主水」と「享保後期の主水」が別だったが、30年間隔では間に入るわけだ。もっとも「初代」も享保の改革が始まったころは56歳で、丹下左膳と知り合いであった可能性はある。
さらに『主水死す』の主水と『仕留人』の主水がどちらも「天保後期~幕末の主水」になり、『主水死す』で主水は「死ななかった」ことになる。

この30年間隔では、1820年で40歳の「文政の主水」が「5代目」で、時代的に天保初期まで含むことになる。1835年当時のハレー彗星接近のときの主水は、1828年から翌年までのシーボルト事件のときの主水と同じで、シーボルト事件当時で48~49歳、ハレー彗星接近のときは55歳になる。
天保の改革が始まったころの主水は次の「6代目」で、1841年で31歳の若さ。

また、30年基準における「11代目」(1960年で0歳)は20年基準では「16代目」に相当する。
さら、この30年間隔の場合、1982年の『現代版』の中村主水が52歳、1991年では『香港・マカオ』の現代の場面における主水の子孫らしき人物・中村誠が61歳か31歳になる(1991年当時、藤田まことは誕生日後で58歳)。
61歳では年を取り過ぎであろうが、逆に31歳だと三田村秀夫(三田村邦彦が演じた人物)も30代と想われるので、作中の中村誠が三田村秀夫と同世代とは想えない。
そこで間の年齢10年歳感覚で表記し、便宜上、同じ人物同士の年齢がわかるように、矢印をつけてみた。

____________「10代目」
_____________│____「11代目」
_____________│_____│「12代目」
_____________↓_____↓_↓
1990___________60_50_40_30_00 『香港・マカオ』
1991___________61_51_41_31_01
1992___________62_↓_↓_32_02
1993___________63_____33_03

こうすると『香港・マカオ』の中村まことは41歳、51歳もありうることになる。
ちなみに1991年当時、藤田まことは58歳、三田村邦彦は38歳であった。

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