終わってみれば、予想されたとおりという結果ではなかろうか。
正直なところ、東京が落選してよかった気がする。
世界には国民がなかなか海外に行けない国もあるだろうし、テレビなど普及していない国もあるだろう。
かたや日本では今や地球の裏側で開催しても選手の家族が現地に応援に行ける。
各家にテレビが普及し、PCも携帯電話のワンセグもあるから、いつも五輪中継を見ることができる。
そんな日本で五輪を開催する意味はない。もっとスポーツ観戦が制限されている国での開催を援助すべきだ。

 

 

テレビを見ると始めは「途上国に譲るべきだ」と言っていた人も「4都市に絞られたら東京になってほしい」と言って、投票が近づくと雪崩を打つように誘致支持に傾いていた。日本が戦争に突入すると当時の日本国民がこうやって一億そろって戦争支持に回ったのだろう。何も反省していない。

 

 

 

1959年に「アジア初」として東京を選んだIOCの判断が、半世紀後の今回には「南米初」としてリオを選ぶ形で再現されただけの話である。

 

 

 

1964年から2016年までは52年である。ロンドン五輪は1948年から2012年まで64年。
ほかにも2回五輪をやった都市はあるが、もしロンドンと同じだけ間を置くなら、次の東京五輪としてふさわしいのは2028年である。
日本では「皇太子殿下が行ったら勝てたんではないか」という意見もあるようだが、そんな「錦の御旗」で勝敗が左右される五輪であれば、もはや本来の意味はないだろう。

 

 

 

1964年の東京五輪当時、『巨人の星』では星一徹が道路工事の日雇い仕事で日夜、重労働していた。
1958年、飛雄馬が花形のノックアウト打法を破ったあと、一徹は飛雄馬を高校に送るために夜も働く決意。ここで東京五輪に向けた都市開發による道路工事の話が出てくるが、東京に決まったのは翌1959年らしい。
『柔道一直線』では日本柔道が一度決勝で敗れたことが、大事件のようになっているが、別に大騒ぎすることではなかろう。
『ドラえもん』のてんコミ第2巻「ぼくの生まれた日」では、のび太は1964年8月7日生まれである。

 

 

 

石原知事と鳩山首相は「環境に優しい五輪」を主張したが、それは「日本以外の都市では環境が悪化する」という脅しであり、年中、日本で五輪をせねばならず、他国への侮辱である。それなら日本が「環境に優しい五輪」の秘訣をを世界各国に教えるべきであろう。「環境」も日本が得するための口実にすぎない。
「子供たちに夢を見せる」というのであれば、別に2016年五輪でなくても、今の子供が成長する2024年や2032年の五輪でもよかったわけである。

 

 

 

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