「この絵600万円」におけるのび助は何歳かI 

小学館ドラえもんルーム編『ド・ラ・カルト(do:ra:carte)』の101ページによると、てんコミ第3巻収録の「白ゆりのような女の子」は1970年『小学四年生』6月号掲載らしい。
「夢まくらのおじいさん」(てんコミ第14巻)は1976年『小六』12月号。
「この絵600万円」(てんコミ第6巻)は1972年『小四』12月号掲載。
「地下鉄をつくっちゃえ」(てんコミ第2巻)は1973年『小一』12月号。

また、49ページを観ると「のび太のおよめさん」(てんコミ第6巻)が1972年『小四』2月号。
さらに、「りっぱなパパになるぞ!」(てんコミ第16巻)は1977年『小六』3月号。

109ページによると、「プロポーズ作戦」(てんコミ第1巻)は1971年『小四』11月号。

「地下鉄をつくっちゃえ」は1973年掲載のようであるが、単行本を観る限りでは、1974年のクリスマスの話である。その時点でのび助が36歳であるから、のび太10歳でのび助36歳と假定できる。

1972年においてのび太が10歳であれば、のび太は「1971年基準」の場合よりも「1歳年下」になる。
すの場合、野比家の年齢変遷6種類(1970~85年)を観るとわかるように、「1971年基準」では、のび助が西暦1935年生まれ、のび太が1961年生まれなので、「1972年基準」では、のび助が1936年生まれ、のび太は1962年生まれ。

1949年当時ののび助の年齢を計算すると、「1971年基準」では14歳、「1972年基準」では13歳で、いずれも中学生であり、作中の設定と合致する。

「はだしのゲン」によると終戦直前、疎開に行かされた小学生は3年生以上だった。「ドラえもん」の原作の「白ゆりのような女の子」ののび助は1945年夏の時点で小3(8歳~9歳)以上だったのだろうか。
14:57 - 2015年3月26日