中村主水年齢変遷(元禄から幕末まで20年間隔で40歳基準9種類)

今度は『必殺忠臣蔵』を参考に、元禄から幕末まで20年間隔で中村主水の世代別年齢変遷を考えてみた。
元禄の主水が西暦1700年で40歳と假定し、次の代が1720年で40歳、1740年で40歳、以下、同様に20年間隔で続き、1780年で40歳、1800年で40歳、1820年で40歳、1840年で40歳、1860年で40歳という假説を立ててみる。
後半の3種類(1820年、1840年、1860年で40歳)は江戸後期40歳基準3種類に相当する。

この「元禄から幕末まで9種類」を採用すると、必殺シリーズの設定が江戸初期や中期になる場合も説明できる。
劇中の主水が40歳でなく50代とも考えられるなら、生まれた年を10年ほど過去の方向にずらせばいい。

こうなると、元禄の主水を「初代中村主水」とすれば、「幕末の主水」は「9代目中村主水」になる。

「元禄の中村主水」1661年で1歳(西暦1700年で40歳)
│││││││└→20歳年下「享保前期の主水」1681年で1歳(西暦1720年で40歳)
││││││└─→40歳年下「享保末期前後の主水」1701年で1歳(西暦1740年で40歳)
│││││└──→60歳年下「家治の時代の主水」1721年で1歳(西暦1760年で40歳) 
││││└───→80歳年下「天明~寛政初期の主水」1741年で1歳(1780年で40歳)
│││└────→100歳年下「寛政末~文化年間の主水」1761年で1歳(1800年で40歳)
││└─────→120歳年下「文政の主水」1781年で1歳(1820年で40歳)
│└──────→140歳年下「天保の主水」1801年で1歳(1840年で40歳)
└───────→160歳年下「幕末の主水」1821年で1歳(1860年で40歳)

しかし、さらに作品との整合性を考えると、もっと多くの「中村主水」を想定したほうがいいことは、ほかで述べておるとおりである。
└→中村主水年齢変遷(元禄1種、享保2種、江戸後期多数)
└→中村主水年齢変遷(元禄1種、享保2種、寛政2種、文政1種、天保2種、幕末1種)

享保年間の主水の場合、藤田まことが演じた丹下左膳が中村主水と知り合いだったらしいということが対応する。丹下左膳は吉宗の時代の人物である。

ただ、吉宗の治世は1716年から1745年までの約30年続いた長期政権であったので、「享保の中村主水」が西暦何年で何歳くらいか、特定するための基準がない。
そこで、1720年で40歳の場合と、1740年で40歳の場合の2種類、またはその間を対応させることにする。

さて、『必殺忠臣蔵』を視野に入れて元禄から「中村主水年齢変遷」を考えたので、今度は『必殺現代版』を視野に入れて20世紀、21世紀初めまで考えてみる。
└→中村主水年齢変遷(40歳基準20年間隔で江戸後期から21世紀初めまで)

1982年の『現代版』と1991年の『香港・マカオ』では主水の子孫が別人だが、年齢変遷で考えるとどちらも1941年で1歳の同世代で、1982年で42歳、1991年で51歳になった。
└→中村主水の年齢変遷(40歳基準20年間隔)で元禄から21世紀まで・解説

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