『おろしや国酔夢譚』で大黒屋光太夫が帰国したとき、松平定信が「長く続いた百姓一揆も終わり…」と言っていた。

角川『日本史辞典』1240ページを観ると1781年の天明元年、光太夫が出航した1782年、ロシアに漂着した1783年、1784年、1786年、寛政の改革が始まった1787年、1788年、1789年、光太夫が帰国した1792年にも一揆があった。
天明の飢饉は1782年かららしい。

また、1242ページを観ると1830年から1838年まで毎年一揆があったらしい。
おおよそ1833年から1836年までの時期に天保の大飢饉があった。

1832年に鼠小僧次郎吉が処刑され、1833年には仕事人・秀が江戸と日本各地を往復する出張仕事をしていた。1835年にハレー彗星接近。陰暦で1835年末、要暦で翌年初めに坂本竜馬とのちの天璋院篤姫が生まれた。
1837年に大塩平八郎の乱。1839年に蛮社の獄。

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09年9/22