横浜、大洋の球団史に関する補足II 

左門は星飛雄馬の左腕時代と右腕時代の2度に渡って、別当監督のもとで働いたことになる。
左門豊作は試合の外でも、69年新春、星飛雄馬とボウリング大会に参加して星飛雄馬に隙を見つけたとき「別当監督さん、……」と心で語りかけていた。一方、横浜学院の捕手でのちに監督となった谷津吾朗も「前略、土門さん、……」と心で語りかけるのが癖であった。

 

谷津吾朗の名前は『ドカベン』文庫18巻(山田世代高1秋関東大会~高2春選抜)で「吾」少年チャンピオン・コミックス『ドカベン・プロ野球編』3巻(1995年球宴スタート)では「朗」である。
形声文字として見ると「五」wu5→「吾」wu2、「良」liang2→「朗」lang3(「五郎」の「郎」は lang2)になる。マリナーズのイチローは鈴木一である。
2008年10月26日

 

 

また、左門豊作と土門には握力増強のためのゴムまりという共通点もある。
そして、左門が花形満、星飛雄馬、伴宙太と出会った場所も横浜で、プロになって星の蜃気楼の魔球を打った場所も横浜である。

 

 

もし、左門豊作が土門と谷津コンビと会ったら、3人でどんな話になるだろうか。

 

 

星飛雄馬は左門の生い立ちを稲尾和久に喩えた。大洋は稲尾のような猟師出身の番場をスカウトしようとしたことがある。結局、ノーコンを理由に獲得をやめたが、番場は巨人に入りノーコンを克服して魔球まで開發し、強敵となった。大洋は馬場も舌を巻く怪力の持ち主である不二立彦という選手を使って対抗。さらに大洋は番場によく似た鯨捕りの猟師である海王神人というスラッガーを獲得した。
2008年10月27日