横浜、大洋の球団史に関する補足I 

『巨人の星』では大洋のホームとビジターでのユニフォームの球団名の区別はメチャクチャで、本据地が川崎のとき、左門豊作が川崎球場の試合に出てもユニフォームはTAIYOで、横浜大洋になって本据地が横浜球場になったときに左門が横浜球場で試合をした場面でも、左門や田代や別当監督のユニフォームには YOKOHAMA と書かれてある。そして、対戦相手の星飛雄馬のユニフォームには GIANTS と書かれている。

星が代打專門として平松と対戦し、左門の超美技でアウトになった上記の試合も川崎球場での対巨人戦であったが、作中では大洋のユニフォームのマークは TAIYO、飛雄馬のそれは GIANTS であった。
当時であれば、この場合、大洋のほうは Whales で、巨人の場合は TOKYO となっていたはずである。
もっとも、ヤクルトに関しては『新巨人の星』文庫6巻でも後楽園で YAKULT、神宮で Swallows 表記になって、正しい場合もある。

1978年、後楽園で左門が蜃気楼の魔球と初対戦したときち、横浜球場で蜃気楼の魔球を打ったときを比べると、当然、後楽園では GIANTS と YOKOHAMA、横浜球場では TOKYO と Whales になっていたはずだが、作品ではどちらも巨人のマークが GIANTS で、横浜大洋のそれは YOKOHAMA と書かれてあった。

アニメでは絵を動かしやすくするためか、ジャイアンツの選手であればGの一文字、タイガースであればTだけ、ホエールズであればW、ドラゴンズならDというように、チーム名の頭文字だけがユニフォームに書かれている。

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2009年9/16 9/16~20