中村主水・弐――天保~嘉永(黒船来航前)【人物】 

天保時代は1830年に始まった。ここで映画『必殺!主水死す』について述べておく。『主水死す』は天保年間が終わって5年以上たった嘉永年間の話であるが、天保の主水の経歴について語る場合、『主水死す』で語られている「過去」から話を始めないといけない。

『主水死す』の舞台は葛飾北斎が没した1849年から水野忠邦が没した1851年までを含む。作中ではこの時代に主水の「20年前」の過去が語られているのである。『主水死す』において、主水が昔の仲間・権の四郎、そしてお千代と20年ぶりに再会したようである。映画の時代設定から20年前の時期を計算で推測すると、その「20年前」は、おおよそ1829年から1831年あたりまでのことである。このお千代はこの時期(作中における「20年前」)に記憶を失ったらしく、それは1829年とするとシーボルト事件の2年目のころである

1832年に処刑された鼠小僧は、のちに主水の仲間になる山田朝右衛門によって斬首されたらしい(『必殺仕事人・激突!』)。
1833年、主水の仲間・秀が一時的に主水グループから離れ、別のグループと組んで裏稼業をしていたらしい(『必殺まっしぐら!』)。
秀が出張仕事をしていたときに、別の裏稼業をしていた「からくり人」の一人・天平はのちに秀、主水たちと会うことになるのだが、その後、秀は天平の爆死を見届けることになる。

1835年にハレー彗星が接近したとき、主水の仲間は政、竜、加代だったらしい。これは『必殺仕事人V激闘編』におけるハレー彗星の接近を江戸時代後期(文化・文政~天保~幕末)と解釋した場合。
『激闘編』で主水が出会った新入りの同心は、奉行所で主水の関わった事件を調べ、下手人(げしゅにん)が召し取られなくても死亡していることから、主水が奉行所以外に独特の人脈を持っているのかと主水に訊いていた。主水はもちろん、否定したが、新入りがこれだけわかるのに、主水の職場の同僚がほとんど気づかなかったのは不思議である。主水の裏稼業が奉行所にばれそうになったのは『仕事人』無印と『激突!』のときくらいであった。

1837年に大塩平八郎の乱。主水の仲間・秀の仕事の相手の一人がこの大塩平八郎だったらしい。
ネットで検索すると時代設定は乱があった年の4年前、1833年(天保4年)だったらしい。
Y!Japan
必殺まっしぐら! 天保4年 大塩平八郎で検索

1837年から1841年まで、家慶が将軍になって間もない時期で、千代・家斉の大御所時代。
必殺SP『春日野局の秘密』によると、この時期、主水は忍者集団と戦っていたようだ。

1839年、蛮社の獄。自殺した蘭学者(小関三英か)のかたき討ちとして、からくり人・夢屋時次郎が鳥居耀蔵を暗殺しようとしたが、弾道に鳩が入って失敗。時次郎は爆死し、からくり人は壊滅。しかし、生き残った天平が天保の改革開始後に主水に接触することになる。
1840年、アヘン戦争が始まった。これも主水にかかわってくる。この年、遠山金四郎が北町奉行になった。
1841年、徳川家斉が没した。インターネットの情報では『必殺仕事人V風雲竜虎編』で家斉の死去が描かれたようである。
└→「天保の中村主水」の経歴【弐】

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