必殺シリーズで「脇坂」という老中が登場することがある。
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老中 脇坂 または 老中 脇坂 主水 で検索

必殺スペシャル『仕事人vs仕事人・徳川内閣大ゆれ!主水にマドンナ』(1989年放送)では脇坂常陸守が登場。
同じく必殺スペシャル『せんりつ誘拐される』(1992年放送)では老中が脇阪で、ネットで調べると美濃守らしい。
例えばオンラインコジマソフト(www.kojima.net/soft/index.htm)からDVDのタイトルで検索すると出る。

Wikipedia 老中 で調べると以下の2名がいる。
脇坂安董(~やすただ、1767~1841、在職1837~1841、淡路守、Wiki
脇坂安宅(~やすおり、1809~1874、在職1857~1860、1862、淡路守、Wiki

角川『日本史辞典』第二版(1974年)の1147ページに記載されている。

どちらも淡路守らしい。老中で常陸守や美濃守がいたかどうか、調べるのはむずかいい。
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老中 常陸守 または 老中 美濃守 で検索

脇坂安董(~やすただ)の場合、1767年生まれだから家治(いへはる)が将軍だった時代に生まれたことになる。
老中在職期間が1836年から1841年。家斉(いへなし)から家慶(いへよし)の時代の老中だ。

必殺シリーズで言うと、この人の就任の前年、1835年にハレー彗星が接近し、『仕事人V激闘編』のハレー彗星がこれだとすると、主水は1835年当時、鍛冶屋の政、組紐屋の竜、何でも屋の加代、はぐれ仕事人の壱、弐、参と組んでいたことになる。
1837年に大塩平八郎の乱。家斉が将軍の座を家慶に譲った。
家斉は1841年に没し、それまでの4年間が家斉の大御所時代で、これは必殺SP『春日野局の秘密』の舞台である。
1841年に鳥居耀蔵が南町奉行に就任し、主水の上司となった。

脇坂安宅(~やすおり)は1809年生まれで島津斉彬と同い年だったわけだ。家斉が将軍だったときに生まれた。脇坂安宅の老中在職期間は完全に幕末で1857年から1860年まで。大老・井伊直弼と同時代の人物である。井伊大老没後、公武合体が実現した1862年にも老中をつとめたようだ。
中村主水は1858年から1860年まで、地獄組の鉄眼らと戦っていた。当時の主水の仲間は鍛冶屋の政、かげろうの影太郎、何でも屋の加代であった。
また、1863年になると、主水の仲間は相変わらず鍛冶屋の政と加代だったが、闇の会が解散。主水は清河八郎の浪士組に入った。

「安宅」は地名としては「あたか」とも読む。