『週刊マンガ日本史』2009年10月6日創刊で表紙は卑弥呼らしい。
インターネットで表紙を観ると「卑弥呼」の文字が「日本史」より大きい。
1977年に小学館が『コロコロコミック』を出したときも、表紙では「ドラえもん」の文字のほうが「コロコロコミック」より大きかった。
創刊号は卑弥呼の話が掲載されており、特別価格が180圓。10月5日に購入した。

それによると、古代シナの『魏志倭人傳』では卑弥呼が60年も倭国を統治したかのように書いてあるそうで、この雑誌では「卑弥呼が10代から女王になったとしても80歳以上」としてある。10歳から60年だったら70代であろうが即位が西暦180年ごろで没年とされるのが248年とすれば68年。70年弱。12歳で即位すれば80歳没である。

「邪馬台国」は日本に複数あった国を一つにアレンジしたものではなかろうか。同様に「卑弥呼」も別の時代にいた女王を一人のようにアレンジしたものかも知れない。
例えば「九州の邪馬台国」「近畿の邪馬台国」などがあって、「初代卑弥呼」「卑弥呼2世」「卑弥呼3世」がいたと假定すれば辻褄(つじつま)が合うだろう。

この「卑弥呼60年の謎」など、必殺シリーズで平賀源内がアヘン戦争終結のときにも生きていたかのように描いているのと似ている。源内は1779年末に没し、西洋の暦では1780年の初めに没した。アヘン戦争は1840年から1842年までだから源内没からアヘン戦争開始まで60年である。
こうなると、『仕事人アヘン戦争へ行く』に登場した源内は『影の軍団II』や『殿さま風来坊隠れ旅』などに登場した源内とは別人と解釋すべきであろう。

中村主水も同様だ。
『必殺仕事人2007』で主水が書庫番に異動になったのは西暦1820年。
一方、『ブラウン館の怪物たち』では慶喜が将軍になった1866年に主水が同心と仕事人を兼ねていた。
時間差は46年。卑弥呼の60年にはかなわないが、1820年で主水が30歳以上としても、1866年では76歳以上である。
また、『秘拳三日殺し軍団』で主水が長谷川平蔵と会っており、かれが寛政時代の鬼平だとすると、1790年ごろの話。『主水死す』の時代設定は1850年前後だから、60年後である。
1790年前後は『だましゑ歌麿』の時代設定のようである。『だましゑ歌麿』では当時30歳前後の若き北斎が登場する。
葛飾北斎は1760年生まれで、1849年に数え年90歳で大往生となった。

邪馬台国の例もあるように、歴史認識は人によって、見方によって異なる。
「歴史認識」を政治利用にしたり、「踏み絵」の材料にしたりするのは愚かな行為である。

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