もしも中村主水の年齢が藤田まことの実年齢とほぼ同じだったら【弐】

『必殺仕事人V激闘編』は1985年から86年までの作品。藤田氏は52歳から53歳までの時期。
第17話「江戸の空にハレー彗星が飛ぶ」は1986年3月21日放送。
時代設定を1835年のハレー彗星接近と假定して、この作品の主水が1835年で満53歳とすれば1782年生まれ、数え年53歳なら1783年生まれ。
江戸後期の「40歳基準」で「1820年で40歳」とした場合の主水は1781年生まれになるので、ほぼ同世代だ。
この主水は1820年で38歳、1821年で39歳、1849~1851年で67~69歳。
また、鼠小僧が処刑された1832年で50歳。『必殺まっしぐら!』で秀が主水と別行動を取っていたとき、この主水は51歳。

 

『必殺!III裏か表か』は1986年の映画。
時代設定は1820年にさかのぼっている。このとき、主水が藤田まことの実年齢53歳と同じなら、1767年または1768年生まれになる。
この主水は1820年(『仕事人2007』)でやはり53歳、1821年で54歳(『仕事人2009』)、1850年で73歳(『主水死す』の時代設定は1849~1851年)。

 

 

『必殺仕事人V旋風編』は86年から87年までの作品。
1987年1月16日放送の第7話でオランダ商館が主水を表彰したのは1819年1月。
もし、1819年当時の主水が1987年における藤田まことの実年齢54歳と同じなら、主水は1765年または1766年生まれ。『ブラウン館』の舞台となった幕末には100歳を過ぎており、おそらく故人となっていただろう。
この主水は1820年で55歳、30年後の1850年で85歳。
なお、『必殺忠臣蔵』は除外する。

 

 

『風雲竜虎編』での家斉の死(1841年)は現時点でインターネットの情報のみで、本や再放送、DVDでは確認していないので、保留にする。『風雲竜虎編』放送当時、藤田まことは54歳。主水が1841年で54歳だと、1787年で0歳、1788年で1歳。

 

 

『仕事人V風雲竜虎編』の続編としてのSP『大老殺し』は1987年放送。
時代設定は1858年から1860年まで。
もし、1858年当時の主水が1987年における藤田まことの実年齢54歳と同じなら、主水は1803年または1804年生まれである。1819年に1765~1766年年生まれの主水が表彰されていたとき、1803~1804年生まれの主水は16歳くらいだったわけだ。
この主水は1820年で17歳、1850年で47歳。

 

 

1989年に放送された『大奥、春日野局の秘密』は家慶の時代で、家斉が大御所として顕在だった時代。
家斉の治世は1837年から1853年までで、そのうち家斉が存命だったのは1841年まで。
この1837年から1841までの時代に主水が放送当時の藤田まことと同じ満56歳なら、1781年から1785年生まれ、数え年56歳なら1782年から1786年までに生まれたことになる。
この主水は1820年ごろで40歳前後、1850年ごろで70歳前後。

 

 

1990年には『大暴れ仕事人!横浜異人屋敷の決闘』『勢ぞろい仕事人!春雨じゃ、悪人退治』『仕事人vsオール江戸警察』が放送された。それぞれ、主水が藤田氏の1990年における年齢57歳と同じと假定する。

 

 

『横浜』の時代設定は1863年で(1868年の鳥羽・伏見の戦いは省く)、主水は1806年または1807年生まれ。『旋風編』の主水が表彰された1819年当時は12~13歳くらい。
1820年で14歳、1850年で44歳。

 

 

『春雨』の時代設定は1828年から1829年までで、1828年を基準にすると、主水は1771年または1772年生まれ。このシーボルト事件のとき、先ほどの『横浜』の主水は20歳くらい。
1821年で50歳、1851年で80歳。

 

 

『江戸警察』の時代設定は1841年から1844年、ナレーションで説明された鳥居のその後まで含めると1845年まで。1841年での主水の年齢が1990年当時の藤田まことの年齢であれば、主水は1784年または1785年生まれ。
1820年で36歳、1850年で66歳。
1853年と1854年の黒船来航当時は70歳前後になってしまい、『仕留人』の主水とは完全に別人である。

 

 

なお、『主水死す』『仕事人2007』『仕事人2009』については、主水の設定年齢は藤田氏の実年齢より下と考える。
└→もしも中村主水の年齢が藤田まことの実年齢とほぼ同じだったら【参】

 

 

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