家斉、家慶、家定、家茂、慶喜年齢変遷II(年齢順) 

2009年9月5日に家康から慶喜までの年齢変遷比較を表にした。
『天地人』で家康を演じている松方弘樹は1942年生まれなので、満年齢では家康より400歳年下である。
なお、松方弘樹が生まれた年の100年前には遠山金四郎が北町奉行で、40歳前後になっていた。

慶喜が将軍でなくなったのが大政奉還のときか、王政復古のときか、江戸開城のときか、難しいところである。

初代家康と15代慶喜はいずれも2年ほどで将軍の座から退いている。
徳川幕府の初めと終わりを象徴する将軍2名がいずれも将軍の座にいた期間が短いというのは奇遇である。

また、慶喜は吉宗とも共通点がある。
吉宗と慶喜の場合、前の将軍が自分より年下という共通点があり、それはどちらも前の代の2名(8代吉宗にとっては6代家宣と7代家継、15代慶喜にとっては13代家定と14歳家茂)が続けて若死にしてしまったことによる。

もし、慶喜が家茂の「養子」で、家茂が家定の「養子」であれば、家定の妻であった天璋院篤姫は慶喜にとって「義理の祖母」になるが、陰暦で1835年生まれの篤姫と1837年生まれの慶喜は2歳しか離れておらず、年齢差では篤姫は慶喜の「姉」程度の世代に相当する。
また、慶喜のあとに徳川宗家を継いだ家達(いへさと)の場合、1863年生まれであるから、篤姫との年齢差は28歳である(下注釋)。

家定→家茂→慶喜→家達という系譜から考えると、家達にとって篤姫は「義理の曽祖母」であるが、年齢差で言えば家達にとっては「若い母親」くらいの篤姫であった。大河『篤姫』で篤姫が家達に「私を母と想って」というようなことを言う場面があったと記憶しているが、一世代足らずの年齢差では当然である。

家斉の長期政権を考えると、その最初の7年間(1787~1793年)に寛政の改革をおこなった松平定信がその7年だけ将軍の座にいたとしても変わりはなかったと想えてくる。彼が将軍になれなかったのは残念であるし、定信は10歳家治と11代家斉の間の「第10.5代将軍」とでも呼べそうな人物である。
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09年9/4 9/5 9/6 9/7 9/11


注釋
篤姫は陰暦1835年末生まれなので、1936年早生まれの長嶋茂雄より100歳年上。
家達(1836~1940)は若田宇宙飛行士(1936~)より100歳年上。
したがって篤姫と家達の年齢差は長嶋茂雄と若田宇宙飛行士の年齢差に近い。
若田宇宙飛行士は長嶋一茂(1966~)より3歳年上で、一茂とほぼ同世代なので、結局、篤姫は年齢差で言えば家達と親子くらいの関係である。


参照
時代劇(2009年9月~)