1751年に徳川吉宗と大岡忠相が没し、この年に大黒屋光太夫が誕生している。

1760年で光太夫は数え年10歳であった。
『影の軍団II』を観たときの記憶では、確か家重が遊びほうけているとき、大岡忠光が吉宗の法事に関する知らせをして、出席を勧めたが、家重は忠光に「お前が代理で行け」というようなことを言っていたと想う。
おそらく、1760年の吉宗の10回忌であろう。

その時、1760年に大岡忠光が没し、家重が将軍の座を家治に譲った。
翌年、1761年に家重は没した。徳川宗睦(~むねちか)が尾張藩主になったのはこの年のようである。

そして、1760年には葛飾北斎が生まれた。

なお、エカテリーナIIがピョートル皇太子と結婚したのは、吉宗が大御所になった1745年。
そして1762年にピョートルが皇帝となり、その年のうちにエカテリーナII自らが女帝となった。

日本においては家重の妻が将軍になることはなかった。

『影の軍団II』で大岡忠光は柘植新八(つげ~)によって暗殺された。
大岡忠光没後100年たった1860年、今度は井伊直弼が暗殺された。これは必殺シリーズでは中村主水が暗殺したことになっているが、インターネットで再確認すると、『影の軍団』では井伊大老の暗殺も服部半蔵の手によるものらしい。

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2009年9/4