天保時代~黒船直前における裏稼業メンバー 

また、こうして観ると、飾り職人・秀の天保における経歴が1833年、1842年、1849~1851年の3箇所に分散している。また、『香港・マカオ』で主水と秀が「大あばれ」したのが1840年代(1991年の放送当時から150年前なので推定1841年前後数年?)とすれば、この中のどこかに入るわけだ。

1833年_____、東吉、綾麻呂、お銀(元締めは省略)・・・『まっしぐら!』
1840年代? ___主水・・・『香港・マカオ』
1842年_____主水、勇次、おりく、加代、順之助、錠・・・『アヘン戦争』
1849~1851年__主水、勇次・・・『主水死す』

秀の場合、『まっしぐら!』での仕事から『アヘン戦争』での仕事まで9年、また、『主水死す』の仕事はさらに9年たっており、主水の「爆死」を見届けたころの秀は『まっしぐら!』のときから18年経過している(偶然ながら、1995年、『主水死す』撮影終了のときの記者会見で三田村邦彦が「僕は必殺に出て18年」とコメントしている)。

この3種類または4種類の秀(特に1830年代と40年代末の2種)の秀が同一人物か別人かは、対応する時代の主水が同一人物か別人かで決まるだろう。ちなみに『まっしぐら!』の秀は時代設定の上では1820年(文政3年)の『裏か表か』の秀の時代から13年経過している。
└→飾り職の秀が「闇の仕事人」になったのはいつか
└→仕事人・秀の「10年前」はいつか

1835年の『激闘編』は作中のハレー彗星接近を江戸後期と假定した場合である。
これが天保時代とすれば、主水は1835年に鍛冶屋の政、組紐屋の竜と組んでおり、『仕事人意外伝』で1843年または1844年に花屋の政、組紐屋の竜が主水と組んだのは8~9年後。やはり、『意外伝』が政と竜が主水と初対面だったとは考えられない。

1835年_____主水鍛冶屋の政、加代、壱、弐、参・・・『激闘編』
1843?~1844年__主水花屋の政、加代、おりく、順之助・・・『意外伝』

ちなみに、『必殺!III裏か表か』で死んだ竜の没年は1820年(天保3年)であるから天保時代の竜とは別人である。竜と政は幕末にも登場した。
└→天保時代~黒船直前における裏稼業メンバー(『風雲竜虎編』『春日野局』『激突!』追加)

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2009年9/2