中村主水年齢変遷(43歳基準4種類で30歳以降) 

次に、1835年のハレー彗星接近のときに43歳だった中村主水を追加し、「43歳基準5種類」にしてみる。

___┌『旋風編』の1819年で主水が43歳の場合
1806_30 『必殺仕事人2007』『必殺仕事人2009』の主水も含む
1807_31
1808_32
1809_33
1810_34
1811_35 (『旋風編』で描かれた1819年から8年前)
1812_36
1813_37_┌シーボルト事件のときに主水が43歳の場合
1814_38_│ 
1815_39_30  
1816_40_31_┌ハレー彗星接近のときに主水が43歳の場合 
1817_41_32_│『江戸警察』の主水はこちら?
1818_42_33_│
1819_43_34_│ 主水がオランダ商館から表彰される(『旋風編』)
1820_44_35_│ 主水が書庫番に異動(『仕事人2007』)
1821_45_36_│ 主水は自身番勤務(『仕事人2009』)
1822_46_37_30
1823_47_38_31
1824_48_39_32_┌鳥居耀蔵が南町奉行になったときに主水が43歳の場合
1825_49_40_33_│『主水死す』の主水も含む
1826_48_41_34_│『仕置屋稼業』の主水(天保の場合)はこちらの主水?
1827_49_42_35_│
1828_50_43_36_30 シーボルト事件(『春雨じゃ、悪人退治』)
1829_51_44_37_31 高橋景保獄死。主水が見届け、かたき討ち(〃)
1830___45_38_32 (1829~1831年、『主水死す』における「20年前」)
1831___46_39_33
1832___47_40_34
1833___48_41_35
1834___49_42_36
1835___48_43_37 ハレー彗星接近(『激闘編』)
1836___49_44_38
1837_____45_39
1838_____46_40_┌安政の大獄のときに主水が43歳の場合
1839_____47_41_│『仕留人』の主水も含む
1840_____48_42_│
1841_____49_43_│ 鳥居耀蔵が南町奉行に(『仕置屋』『江戸警察』)
1842_____50_44_│ アヘン戦争終結(『仕事人アヘン戦争へ行く』)
1843_____51_45_│
1844_____52_46_│ 鳥居耀蔵失脚(『江戸警察』)
1845_______47_30
1846_______48_31
1847_______49_32
1848_______50_33
1849_______51_34 葛飾北斎没(『主水死す』)
1850_______52_35
1851_______53_36 水野忠邦没(〃)
1852_________37
1853_________38 黒船来航(『仕留人』)
1854_________39 黒船再来。横浜で日米会談(〃)
1855_________40
1856_________41
1857_________42
1858_________43 安政の大獄始まる(『大老殺し』)
1859_________44
1860_________45 桜田門外の変(〃)
1861_________46
1862_________47
1863_________48 清河八郎が浪士組結成(『横浜異人屋敷』)
1864_________49
1865_________48
1866_________49 慶喜が将軍に(『ブラウン館』)
1867_________50
1868_________51 鳥羽・伏見の戦い(『横浜』)

これでやっと「43歳基準」でも『仕置屋』と『江戸警察』の問題を解決できたことになる。ちなみに、1835年のハレー彗星接近当時、主水が43歳とすると1793年生まれで、遠山金四郎、千葉周作と同い年だったことになる。鳥居耀蔵より3歳年下だ。一方、シーボルト事件のときに千葉周作と組んだ主水は千葉周作より7歳年上、1828年で43歳の1886年生まれで、1896年に生まれた鳥居耀蔵より10歳年上だったことになる。さらに、鳥居耀蔵が南町奉行に就任したとき、主水は鳥居より3歳年したか6歳年上になる。
千葉周作の生まれた年は1793年だが1794年という説もあるらしい。水野忠邦は1794年生まれである。
└→中村主水年齢変遷(43歳基準5種類、作品が対応する年に限定)

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2009年8/29~30 8/30 8/30~31