中村主水年齢変遷(40歳基準3種類、30代以降のみ) 

今度は、文政の主水の年齢については西暦が明確な1819年から、天保については1835年から、幕末については1853年から続けて記載する。

___┌「文政の中村主水」(1781年生まれ、1820年で40歳)
___│_┌「天保の中村主水」(1801年生まれ、1840年で40歳)
___│_│_┌「幕末の中村主水」(1821年生まれ、1860年で40歳) 
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1819_39_│_│ 主水がオランダ商館から表彰される(『風雲竜虎編』)
1820_40_│_│ 主水と秀が再会(『裏か表か』)。主水、書庫番に異動(『2007』)
1821_41_│_01 主水は書庫番勤務(『2009』)。「幕末の中村主水」誕生(推定)
1822_42_│_│ 
1823_43_│_│ 
1824_44_│_│ 
1825_45_│_│ 
1826_46_│_│
1827_47_│_│
1828_48_│_│ 風呂屋で十手を盗まれる(『春雨じゃ、悪人退治』)
1829_49_│_│ 高橋景保(当時45歳)の獄死を見届け、千葉周作らと組んで裏稼業(〃)
1830_↓_30_│ (1829~1831年、『主水死す』における「20年前」)
1831_生_31_│ 
1832_死_│_│ 鼠小僧処刑(『からくり人』『仕事人・激突!』)
1833_不_│_│ 秀が出張仕事(『まっしぐら!』)
1834_明_│_│ 
1835___35_│ ハレー彗星接近(『激闘編』)
1836___36_│ 
1837___37_│ 1837~1841年、家斉大御所時代(『春日野局』)
1838___38_│ 
1839___39_│ 
1840___40_│ 
1841___41_│ 鳥居耀蔵が南町奉行に(『仕置屋』『オール江戸警察』)
1842___42_│ アヘン戦争終結。主水たちが気球で香港へ(『仕事人アヘン戦争へ行く』)
1843___43_│ 1843~1844年、組紐屋の竜と花屋の政が主水と組む(『意外伝』)
1844___44_│ 高野長英脱獄(『新からくり人』)。主水が鳥居耀蔵を暗殺(『江戸警察』)
1845___45_│ 鳥居(替え玉か)が四国へ送られる(〃)
1846___46_│ 
1847___47_│
1848___48_│ 
1849___49_│ 葛飾北斎没。主水が家定の双子の妹を發見(『主水死す』)
1850___50_│
1851___51_│ 主水が水野忠邦を暗殺。主水爆死?(〃)
1852_____│
1853_____33 黒船来航。仕留人グループ結成(『暗闇仕留人』第1話)
1854_____34 黒船再来。仕留人グループ解散(〃最終回)
1855_____35 
1856_____36 
1857_____37 
1858_____38 安政の大獄。主水が日米野球大会を担当(『大老殺し』)
1859_____39 
1860_____40 主水が桜田門外で井伊直弼を暗殺(〃)
1861_____41 
1862_____42 
1863_____43 主水が清河八郎の浪士組に参加(『横浜異人屋敷』)
1864_____44 
1865_____45 
1866_____46 陰暦ではこの年の終わり、慶喜が将軍に就任(『ブラウン館』)
1867_____47 陰暦ではこの年の初め、慶喜が将軍に就任(〃)
1868_____48 主水が鳥羽・伏見の戦いに参戦(『横浜~』)
明治時代___不明 奉行所廃止後、中村家が警察官の採用試験を受け、不合格(Wiki

『主水死す』において主水は権の四郎、千代と20年ぶりに再会しており、それは1849年の葛飾北斎没から1851年の水野忠邦没までの間の時期なので、「20年前」は1829年から1831年まで。間に入る1830年は天保元年であり、この時期の主水を「天保の中村主水」(1830年で30歳)に含めてよい。
1830年の前の年である1829年(文政12年)は前年からのシーボルト事件の後半で、「文政の中村主水」の活動の末期と解釋できる。
次に、基準を6種類に増やして、主水の30歳以降の年齢を記述してみたのがこれだ。
└→中村主水年齢変遷(6種類で30代~50代、59歳まで)
└→中村主水年齢変遷(40歳基準3種類、作品が対応する年に限定)
└→中村主水年齢変遷(文政から幕末まで、主水の実質活動時期のみ

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2009年8/29~30 8/30 8/30~31