┌中村主水年齢変遷(文政、天保、幕末3基準、江戸時代後期のみ)
↓
今度は、中村主水が裏稼業を始めたのが30代からと假定し(『仕置人』で「男30過ぎて…」と言っている)、まず、江戸後期3基準の主水の30代以降(50歳前後まで)の年齢だけを書いてみる。ただし、「幕末の主水」については生まれた年(推定1821年)の数え年の年齢1歳を表記した。
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今度は、中村主水が裏稼業を始めたのが30代からと假定し(『仕置人』で「男30過ぎて…」と言っている)、まず、江戸後期3基準の主水の30代以降(50歳前後まで)の年齢だけを書いてみる。ただし、「幕末の主水」については生まれた年(推定1821年)の数え年の年齢1歳を表記した。
___┌「文政の中村主水」(1781年生まれ、1820年で40歳tと假定)
___│_┌「天保の中村主水」(1801年生まれ、1840年で40歳と假定)
1810_30_│_┌「幕末の中村主水」(1821年生まれ、1860年で40歳と假定)
1811_31_│_│
1812_32_│_│
1813_33_│_│
1814_34_│_│
1815_35_│_│
1816_36_│_│
1817_37_│_│
1818_38_│_│
1819_39_│_│ 主水がオランダ商館から表彰される(『風雲竜虎編』)
1820_40_│_│ 主水と秀が再会(『裏か表か』)。主水、書庫番に異動(『2007』)
1821_41_│_01 主水は書庫番勤務(『2009』)。「幕末の中村主水」誕生(推定)
1822_42_│_│ └→主水、江戸を去って西方へ旅立ったか?(『2010』)
1823_43_│_│
1824_44_│_│
1825_45_│_│
1826_46_│_│ 丙戌年11月、海岸に南町奉行筒井和泉守の立札(『黄金の血』)
1827_47_│_│
1828_48_│_│ 風呂屋で十手を盗まれる(『春雨じゃ、悪人退治』)
1829_49_│_│ 高橋景保の獄死を見届け、千葉周作らと組んで裏稼業(〃)
1830_↓_30_│ (1829年から1831年まで、『主水死す』における「20年前」)
1831_生_31_│
1832_死_32_│ 山田朝右衛門が鼠小僧を処刑(『激突!』第1話における28年前)
1833_不_33_│ 秀が出張仕事(『まっしぐら!』)
1834_明_34_│
1835___35_│ ハレー彗星接近(『激闘編』?)
1836___36_│
1837___37_│ 大塩平八郎の乱。将軍が11代家斉から12代家慶に
1838___38_│
1839___39_│ 蛮社の獄→その後、からくり人壊滅(1841年?)
1840___40_│ アヘン戦争勃發(『激突!』第10話で成川と主水が話題にした模様)
1841___41_│ 鳥居耀蔵が南町奉行に(『仕置屋』『オール江戸警察』)
_____│_│ └→この時までに、旧からくり人グループ、壊滅?
_____│_│ 大御所・家斉没(『風雲竜虎編』第2話)
1842___42_│ アヘン戦争終結。主水たちが気球で香港へ(『仕事人アヘン戦争へ行く』)
1843___43_│ 1843~1844年、組紐屋の竜と花屋の政が主水と組む(『意外伝』)
1844___44_│ 高野長英脱獄(『新からくり人』)。鳥居失脚(『江戸警察』)
1845___45_│ 鳥居(替え玉か)が四国へ送られる(〃)
1846___46_│
1847___47_│
1848___48_│
1849___49_│ 葛飾北斎没。主水が家定の双子の妹を發見(『主水死す』)
1850___50_30
1851___51_31 主水が水野忠邦を暗殺。主水、小屋で爆死か(〃)
1852_____32
1853_____33 黒船来航。仕留人グループ結成(『暗闇仕留人』第1話)
1854_____34 黒船再来。仕留人グループ解散(〃最終回)
1855_____35
1856_____36
1857_____37
1858_____38 安政の大獄。主水が日米野球大会を担当(『大老殺し』)
1859_____39 横浜開港
1860_____40 主水が桜田門外で井伊直弼を暗殺(〃)、鼠小僧処刑から28年(『激突!』第1話)
1861_____41
1862_____42
1863_____43 主水が清河八郎の浪士組に参加(『横浜異人屋敷』)
1864_____44
1865_____45
1866_____46 陰暦ではこの年の終わり、慶喜が将軍に就任(『ブラウン館』)
1867_____47 陰暦ではこの年の初め、慶喜が将軍に就任(〃)
1868_____48 主水が鳥羽・伏見の戦いに参戦(『横浜~』)
明治時代___不明 奉行所廃止後、中村家が警察官の採用試験を受け、不合格
└→中村主水年齢変遷(40歳基準3種類、主水の活動時期中心)
___│_┌「天保の中村主水」(1801年生まれ、1840年で40歳と假定)
1810_30_│_┌「幕末の中村主水」(1821年生まれ、1860年で40歳と假定)
1811_31_│_│
1812_32_│_│
1813_33_│_│
1814_34_│_│
1815_35_│_│
1816_36_│_│
1817_37_│_│
1818_38_│_│
1819_39_│_│ 主水がオランダ商館から表彰される(『風雲竜虎編』)
1820_40_│_│ 主水と秀が再会(『裏か表か』)。主水、書庫番に異動(『2007』)
1821_41_│_01 主水は書庫番勤務(『2009』)。「幕末の中村主水」誕生(推定)
1822_42_│_│ └→主水、江戸を去って西方へ旅立ったか?(『2010』)
1823_43_│_│
1824_44_│_│
1825_45_│_│
1826_46_│_│ 丙戌年11月、海岸に南町奉行筒井和泉守の立札(『黄金の血』)
1827_47_│_│
1828_48_│_│ 風呂屋で十手を盗まれる(『春雨じゃ、悪人退治』)
1829_49_│_│ 高橋景保の獄死を見届け、千葉周作らと組んで裏稼業(〃)
1830_↓_30_│ (1829年から1831年まで、『主水死す』における「20年前」)
1831_生_31_│
1832_死_32_│ 山田朝右衛門が鼠小僧を処刑(『激突!』第1話における28年前)
1833_不_33_│ 秀が出張仕事(『まっしぐら!』)
1834_明_34_│
1835___35_│ ハレー彗星接近(『激闘編』?)
1836___36_│
1837___37_│ 大塩平八郎の乱。将軍が11代家斉から12代家慶に
1838___38_│
1839___39_│ 蛮社の獄→その後、からくり人壊滅(1841年?)
1840___40_│ アヘン戦争勃發(『激突!』第10話で成川と主水が話題にした模様)
1841___41_│ 鳥居耀蔵が南町奉行に(『仕置屋』『オール江戸警察』)
_____│_│ └→この時までに、旧からくり人グループ、壊滅?
_____│_│ 大御所・家斉没(『風雲竜虎編』第2話)
1842___42_│ アヘン戦争終結。主水たちが気球で香港へ(『仕事人アヘン戦争へ行く』)
1843___43_│ 1843~1844年、組紐屋の竜と花屋の政が主水と組む(『意外伝』)
1844___44_│ 高野長英脱獄(『新からくり人』)。鳥居失脚(『江戸警察』)
1845___45_│ 鳥居(替え玉か)が四国へ送られる(〃)
1846___46_│
1847___47_│
1848___48_│
1849___49_│ 葛飾北斎没。主水が家定の双子の妹を發見(『主水死す』)
1850___50_30
1851___51_31 主水が水野忠邦を暗殺。主水、小屋で爆死か(〃)
1852_____32
1853_____33 黒船来航。仕留人グループ結成(『暗闇仕留人』第1話)
1854_____34 黒船再来。仕留人グループ解散(〃最終回)
1855_____35
1856_____36
1857_____37
1858_____38 安政の大獄。主水が日米野球大会を担当(『大老殺し』)
1859_____39 横浜開港
1860_____40 主水が桜田門外で井伊直弼を暗殺(〃)、鼠小僧処刑から28年(『激突!』第1話)
1861_____41
1862_____42
1863_____43 主水が清河八郎の浪士組に参加(『横浜異人屋敷』)
1864_____44
1865_____45
1866_____46 陰暦ではこの年の終わり、慶喜が将軍に就任(『ブラウン館』)
1867_____47 陰暦ではこの年の初め、慶喜が将軍に就任(〃)
1868_____48 主水が鳥羽・伏見の戦いに参戦(『横浜~』)
明治時代___不明 奉行所廃止後、中村家が警察官の採用試験を受け、不合格
└→中村主水年齢変遷(40歳基準3種類、主水の活動時期中心)