大河『天地人』で朝鮮出兵(1592年、1597年)と秀次事件(1595年)I 

秀吉は養子・秀次に謀叛の疑いがあるとして秀次に切腹を命じ、秀次の家族なども厳罰に処されたらしい。伊達政宗も弟を斬ったことがある。

秀次事件について秀吉を恨む人がいるだろうか。戦国時代、大航海時代の時代背景を無視して朝鮮出兵だけを特別扱いするのは、それこそ「歴史認識の缺如」であろう。
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甲子園では新潟の日本文理と愛知の中京大中京が準決勝を制し、決勝進出。中京は花巻東を破った。ここで戦国時代の越後と尾張と陸奥の関係を持ち出して恨みなど言う人がもしいたら、もう「歴史」にこだわる態度も考えものである。

ところで、『おんな太閤記』では、ねね(高台院)が「戦をなくすために戦をすると教わりました」と言っていた。誰かが天下を取らなければ戦はなくならないという思想である。そして秀吉が入浴中に朝鮮、明、天竺を納めようと決意。これにはねねも驚き、朝鮮出兵に関しては弟・秀長が反対していた。
『おんな太閤記』で秀吉を演じたのは西田敏行で、秀長は中村雅俊。のちにどちらも徳川吉宗を演じ、さらに吉宗を扱った時代劇で共演することとなる。
『天地人』の秀吉役は笹野高史、『暴れん坊将軍』での西川如見役だった俳優だが、信長を演じた吉川晃司と比べると、どうも『天地人』では秀吉が年を取り過ぎに見えた。

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2009年8/28