幕末の中村主水の裏稼業変遷【弐】 

ここで鍛冶屋の政の経歴が複雑になっている。

政は『仕事人V』で花屋、『仕事人V激闘編』『旋風編』『風雲竜虎編』で鍛冶屋であった。
文政時代の政は1819年(『旋風編』)から1820年(『裏か表か)まで鍛冶屋。
天保の政も1835年当時は鍛冶屋(作中のハレー彗星が江戸後期の場合)だったが、1843年から1844年までの時期は花屋に「戻って」いる(『意外伝』)。
そして、幕末の政は1858年から1863年まで鍛冶屋(『風雲竜虎編』の続編『大老殺し』と『横浜異人屋敷』)であったが、1866年ごろに花屋に「戻って」いる(『仕事人V』の映画版『ブラウン館』)。

そこで、『ブラウン館』のみ、別世界として表を作りなおしてみる。

1852_仕置人
1853_仕留人_仕置人____ 『仕留人』(1974年放送)
___↓___仕留人____
1854_仕留人_仕留人____ 『仕留人』
___仕置屋_仕置屋____
1855_仕業人_仕業人____
1856_新仕置_新仕置____
1857_商売人_商売人____
1858_仕事人_仕事人____ 『大老殺し』(1987年、鍛冶屋の政登場)
1859_↓___↓______
1860_仕事人_仕事人____ 『大老殺し』
1861_↓___↓___仕置人
1862_↓___↓___仕置屋
1863_仕事人_仕事人_仕業人 『横浜異人屋敷』(1990年、鍛冶屋の政登場)
1864_↓___↓___新仕置
1865_↓___↓___商売人
1866_↓___↓___仕事人 『ブラウン館』(1985年公開、花屋の政)
1867_↓___↓______
1868_仕事人_仕事人____ 『横浜異人屋敷』

この場合、中村主水が清河八郎の浪士組に参加していたとき、別の中村主水は小傳馬町(>小伝馬町)牢屋見廻り同心だったことになる。『ブラウン館』の政がいつ鍛冶屋になったかは不明である。

主水が自身番勤務だった1821年からシーボルト事件まで7年、さらにシーボルト事件2年目の1829年からハレー彗星接近の1835年まで6年というわけであるが、次にハレー彗星から鳥居耀蔵の南町奉行就任まで6年、翌年のアヘン戦争終結まで7年である。そして鳥居耀蔵失脚から水野忠邦没までやはり6年。また、最初の黒船来航から安政の大獄開始まで5年、2年後の桜田門外の変まで7年。その桜田門外の変から慶喜が将軍になるまでさらに6年。
これにより、主水の裏稼業は「仕置人」から「仕事人」まで5~6年、「仕事人」開始からさらに6~7年ということが繰り返されている。

それで、中村主水が江戸時代に複数存在したとすると、少なくとも文化・文政から黒船直前までは、年表の上では同じ時代でも主水が裏稼業開始当時、中盤、または末期という複数の可能性がある時代がいくつも出てくるわけだ。

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09年8/24~25 8/25 8/25~27