文政から天保前期までの中村主水の裏稼業変遷【弐】 

また、江戸時代後期でハレー彗星接近の年である1835年が「仕事人」スタートとすると、秀が出張仕事をしていた1833年当時、主水は「新仕置人」の時期だったことになる。「新仕置人」の時期、主水と鉄も出張仕事をしたことがある。

1830_天保元_仕置人
1831_____仕置屋
1832_____仕業人
1833_天保4__新仕置 秀が出張仕事
1834_____商売人
1835_天保6__仕事人 ハレー彗星接近
1836_____↓
1837____┐↓ 
↓_____├仕事人 家斉大御所時代
1841____┘

この場合、『必殺まっしぐら!』は秀が主水と組む前の姿を描いていたことになる。

また、この基準を採用すると、文政時代の主水と天保時代の主水が完全に入れ替わりとなる。

1823_文政6__仕置人 
1824_____仕置屋
1825_____仕業人
1826_____新仕置
1827_____商売人
1828_文政11_仕事人____ シーボルト事件
1829_文政12_仕事人____
1830_天保元_____仕置人
1831_________仕置屋
1832_________仕業人
1833_天保4______新仕置 秀が出張仕事
1834_________商売人
1835_天保6______仕事人 ハレー彗星接近
1836_________↓
1837________┐↓ 
↓_________├仕事人 家斉大御所時代
1841________┘

シーボルト事件のときに「仕事人」だった主水がハレー彗星まで「仕事人」を続けていた場合については文政から天保前期までの中村主水の裏稼業変遷【弐】で書いたので省く。

のちに『必殺!主水死す』で主水が「20年ぶり」に昔の仲間(2名ほど)と再会する展開があるが、これは葛飾北斎没(1849年)と水野忠邦没(1851年、映画で主水が暗殺)の間の時期で1850年前後であり、それから20年前とすれば、この1830年に裏稼業を開始したという推定と一致する。
同時に、1829年と1830年を境に主水が「前の代」と「次の代」に分かれることになり、シーボルト事件までの主水と『主水死す』の主水は少なくとも「別人」であろうという推測が成り立つ。

次に、このハレー彗星接近で「仕事人」になった主水が天保の改革の時期まで裏稼業を続けていたとしてみる。

1830_天保元_仕置人
1831_____仕置屋
1832_____仕業人
1833_天保4__新仕置 秀が出張仕事
1834_____商売人
1835_天保6__仕事人 ハレー彗星接近
1836_____↓__
1837____┐↓__ 大塩平八郎の乱
1838____├仕事人 家斉大御所時代
1839____│↓__ 蛮社の獄。からくり人壊滅
1840____│↓__ アヘン戦争勃發
1841____┘仕事人 鳥居耀蔵が南町奉行に就任
1842_____仕事人 アヘン戦争終結。主水たちが香港で出張仕事

これまた、主水が「仕事人」になってからも裏稼業が7年は経過している。
└→鳥居耀蔵就任前後の中村主水の裏稼業変遷

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09年8/24~25