『必殺仕事人V旋風編』の中村主水はいつ裏稼業を始めたか【参】

もし、1818年の文政元年で「仕置人」として主水の稼業が始まり、1年ごとに稼業の名が変わったと假定すると主水が後期の裏稼業「仕事人」になったのは1823年になる。シーボルト事件はその5年後の1828年から翌年までのことである。

1818_文政元_仕置人
1819_____仕置屋 (仕事人・主水がオランダ商館から表彰される)
1820_____仕業人 (仕事人・主水が書庫番に異動)
1821_____新仕置 (仕事人・主水が自身番勤務)
1822_____商売人
1823_文政5__仕事人
1824_____↓
1825_____↓
1826_____↓
1827_____↓
1828_文政11_仕事人 シーボルト事件
1829_文政12_仕事人

この場合、『必殺商売人』第4話では河内山宗俊が登場しており(芦屋雁之助が演じた)、この人物は1823年(文政5年)に没しているようなので、1822年で主水が「商売人」だったとするこの基準に合っている。

一方、1828年のシーボルト事件の年から主水が裏稼業名を「仕事人」にしていたとすると、最初の裏稼業「仕置人」のスタートが1823年になる。今度はシーボルト事件に関する仕事が終わってからハレー彗星接近まで6年経過しており、やはり主水は「仕置人」から「仕事人」まで5年かけたあと、「仕事人」になってからさらに5年以上、裏稼業を続けていたことになる。

1823_文政6__仕置人 
1824_____仕置屋
1825_____仕業人
1826_____新仕置
1827_____商売人
1828_文政11_仕事人 シーボルト事件
1829_文政12_仕事人
1830_天保元_↓__
1831_____↓__
1832_____↓__
1833_____↓__
1834_____↓__
1835_天保6__仕事人 ハレー彗星
1836_____↓
1837____┐↓ 
↓_____├仕事人 家斉大御所時代
1841____┘

この「1828年から仕事人」の場合、「商売人」は1827年なので、この時点で河内山宗俊は没しており、『商売人』第4話は別世界となる。

まとめるとこうなる。

1818_文政元_仕置人
1819_____仕置屋 (仕事人・主水がオランダ商館から表彰される)
1820_____仕業人 (仕事人・主水が書庫番に異動)
1821_____新仕置 (仕事人・主水が自身番勤務)
1822_____商売人
1823_文政5__仕事人
1823_文政6__↓___仕置人 
1824_____↓___仕置屋
1825_____↓___仕業人
1826_____↓___新仕置
1827_____↓___商売人
1828_文政11_仕事人_仕事人 シーボルト事件
1829_文政12_仕事人_仕事人
1830_天保元_____↓__
1831_________↓__
1832_________↓__
1833_________↓__ 秀が出張仕事
1834_________↓__
1835_天保6______仕事人 ハレー彗星
1836_________↓
1837________┐↓ 
↓_________├仕事人 家斉大御所時代
1841________┘

これにより、シーボルト事件の主水に2種類の可能性が出てくるわけだ。
一方、1818年に裏稼業を始めた主水が1823年で「引退」し、1828年に裏稼業をした主水は別人という解釋もありうる。
└→文政から天保前期までの中村主水の裏稼業変遷【弐】

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09年8/24~25